みんな言ってくれないけど、あなたが存在してるだけで誰かを救っていることがあるんだよ論。
目次
人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある。
TVで放送されると、つい見てしまう映画ってありませんか?
僕はそういう作品がいくつかあるのですが、その中の一つが「容疑者Xの献身」なんです。
誰も幸せになれないしものすごく悲しいストーリーなんですが、ラストの展開もすでに分かっているのに、つい見てしまいます。
中でも堤真一さんの枯れた演技が素晴らしくて、彼は石神を演じるためにわざと髪の毛を抜いて、くたびれ感を演出したのだとか。
「役者さんマジすげえ」と語彙力をなくすぐらい、半端じゃない演技なんですよね。
そんな容疑者Xの献身ですが、原作には次のような一文があるそうなんですよ。
僕は原作をまだ読んだことがなくて、映画版ではこの一文が台詞なしの描写として描かれているのですが、花岡親子の存在によって自殺しようとしていた石神は踏みとどまるんですよね。
花岡親子が、彼の自殺を直接止めようとしたわけじゃないのにです。
「人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある」という一文が原作にあることを初めて知ったとき、こう思ったんですよ。
と。
そんなわけで今回は、「人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある」の一文をテーマにお話させていただきます。
素直でいるだけで、人は心打たれるときがある。
「素直さは身を助く」と言いますが、これは本当です。
人に対し素直に接していると相手も心を開いてくれて、それで心的距離がグッと縮まることはよくあるんですよ。
「人の心を開きたいならまず自分から」と言われていますが、これは「素直な自分で接していたら人は心を開いてくれますよ」という意味でもあるんですね。
中には、「白いものを汚したい」という闇にまみれた人間もいるので、素直でいたら万人が心を開いてくれるわけではありません。
しかし、素直じゃない自分でいるよりも素直な自分でいた方が、人に恵まれるのは間違いないと言えるでしょう。
素直でいることは、自分にも相手にも嘘をつかないこと。
つまり、自分を良く見せるために偽ろうとせず、相手に対し本音で話すことが、素直でいるということなんです。
素直な人と話していると、次のように思うんですよ。
「この人には嘘つきたくないな」
「この人には自分のこと話したいな」
「この人は信用できるな」
相手はこのようなことを思っても、口に出して言ってはくれないことがほとんどなんですが、
と思ったときは、確実にあなたの素直さが響いたのだと思っていいでしょう。
たとえば子どもと話していたら、その素直さや純粋さに心が温かくなることってあるじゃないですか。
これって大人でも同じ現象が起こるので、子どもに限った話ではないんですよね。
あなたが存在しているだけで、誰かの励みになっていることがある。
僕が行っているサービスの中に、「強み診断カウンセリング」があります。
と言ってる人でも絶対に強みはあるのですが、日本人の9割は自分の強みに気づいていないと言われているんです。
なぜそうなのかは下記動画をご覧いただけると幸いですが、自分の存在がときに誰かの励みになっていることを自覚してない人は、強みに気づかないのも無理はないと言えるでしょう。
【参考動画】
日々強みカウンセリングを行っていると、クライアントさんから次のような強みが見つかる場合があります。
「共感力」
-
- 感受性が強く、人の痛みや気持ちが手に取るように分かる強み。
「他者開示」
-
- 接した人がすぐ心を開いてきて、悩みを打ち明けてきたり相談をしてきたりする強み。
「良いところ探し」
-
- 人の良いところを見つけて伝えることができる強み。
「傾聴力」
-
- 人の話を聞くことに長けた強み。
「誠実さ」
-
- 人と物事に対し、嘘偽りなく真心を込めて接することができる強み。
「他者貢献」
-
- 誰かのために頑張ることができて、能力を発揮できる強み。
「ひまわり」
-
- その人がいると周りがパッと明るくなる強み。
「温和」
-
- その人がいると穏やかな空気が流れる強み。
実はこれらの強みを持つ人は、確実に誰かの励みになっています。
なんだったら、誰かの救世主的存在になっていることも珍しくありません。
上記の強みはパッと思いついたものを挙げただけなので、誰かの励みになる強みはほかにも沢山存在します。
ただ、前述したように日本人の大半が自分の強みに気づいていないので、「あなたの存在が誰かの励みになってますよ」と言われても、ピンと来ないんですよね。
それに、
と思っていても、言ってくれない人が多いんですよ。
「それを言ってくれや」と思ってしまうのですが、面と向かって言うのが恥ずかしい、照れくさいという人が多数なんですよね。
面倒くさいやっちゃな。
思わず毒吐きましたが、自分のことを無価値だと思っている人ほど、無価値である証拠探しをしてしまうんですよね。
この場合必要なのは、自分の存在が誰かの励みになっている証拠探しです。
居場所があるだけで、自分は誰かの光や希望になっている。
では、どうやって自分が誰かの励みになっていることが分かるのか?
あなたに対し笑顔を向けてくれる人がいたり、あなたのことを歓迎してくれる場所があれば、すでに誰かにとっての励みになっていると思ってください。
たとえば、これからアルバイトに行かないといけないときに、
と思ったこと、ほとんどの人が経験しているのではないでしょうか。
しかしこのとき、
と思ってダルさが軽減されること、あるじゃないですか。
誰かの励みになるってそんな大それたことではなくて、このように些細なことなんですよ。
なので、あなたに笑顔を向けてくれる人がいて、あなたを歓迎してくれる場所があるなら、すでに自分は誰かの励みになっているんですよね。
あなたがその人物や場所にストレスを感じていないのであれば、ほぼ確実にそうだと思った方がいいです。
なんだったらあなたの存在は、誰かにとっての光や希望になっていることもあるはずです。
なので、もう自分のことを取り柄がないだとか、無価値だと思うのは止めにしましょう。
どれだけ自己卑下したところで、あなたを受け入れてくれる人や場所があるなら、すでに誰かから必要とされているのです。
そして、あなた自身が誰かの存在によって励まされているのであれば、その人に対し言ってあげてください。
「あなたがいてくれて本当に良かった」と。
「あなたがいてくれるだけで励みになる」と。
そうすることによって、きっとその人も、素直な気持ちであなたに応えてくれるはずです。
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