【休息】君ら頑張りすぎやから、いいから休めってことなんだよ論。【癒やし】
withonlineで75回目の連載がアップされました。
今回は、「婚活疲れをしたとき」をテーマに執筆いたしました。
婚活にかぎらず、自覚できるぐらい「疲れたな」と感じたときは、ちゃんと休まないといけないんですよ。
ですが、とくに仕事において日本人の多くは疲れを自覚しているのにもかかわらず「もっともっと」と業務に取り組む傾向が強いです。
各方面で「日本人は働きすぎだ」と揶揄されることが多いですが、そうなった背景を考えたとき、やはり戦後の復興力が根源にあるように思います。
「え?こんなのマジでどうやって直すの?これからどうやって食べて行くの?」っていうぐらい、ボコボコになったインフラ整備や食糧難を数年で立て直したわけじゃないですか。
その裏では、先人たちの「努力と気合と根性」があったわけです。
先人たちの頑張りによって「豊かな国日本」と呼ばれるぐらい高度成長を遂げた過去はありますが、そんな背景も相まって、努力と気合と根性に基づいた「根性論」や「精神論」がその後もまかり通ってしまった部分はあるんだろうなと思っています。
1990年代に「それが大事」「負けないで」といったヒット曲が支持されたのも、そういった時代背景が大きく関係してるんでしょうね。
現代だと、歌詞の内容的に正直キツいと感じている人が多いこともあり、たとえば24時間テレビに不快感を示す人が年々増えているのは、「なんでマラソンすんだよ」「なんで出演者にギャラが発生してんだよ」といった視聴者の意見以外にも、「なんでみんな集まって(その曲)歌うんだよ」も含まれているんだろうなと思いました。
リゲインのCMも「24時間たたかえますか?」がキャッチコピーだったし、よく考えたらある意味すげえ時代です。
時代が変わった今、昔に比べると「努力と気合と根性」といわれる場面は少なくなってきたとはいえ、それでも頑張りすぎてしまう人はまだまだ多いようです。
今回のブログでは「いいから休め」をテーマに、休息の重要性についてお話したいと思います。
目次
本当はそうしたくないのに家でだらけてしまうのは、「反動」を疑ったほうがいい。
仕事から家に帰ってくると、何もやる気が起きないという人がいます。
何もせずボーッと過ごし、気づいたら就寝時間になってしまう。
そしてまた翌日から仕事で、毎日が同じことの繰り返し。
こういった人の中には、何のやる気も出ない無気力な自分を責めてしまうケースがよくあるのですが、なぜこういった事態に陥ってしまうのかというと、多くの場合が「無理しすぎた反動」なんですよ。
仕事で無理しすぎている、人間関係で無理しすぎているなど、普段からキャパを超えているのにやりすぎてしまう人は、時間差でかならずその反動がやってきます。
つまり、家で何もする気が起きずにいけないと思ってもダラダラ過ごしてしまうのは、「お前ちょっと頑張りすぎやで?ええから休めや」というサインなんですよ。
この場合、「何もしてない自分」に罪悪感を覚えて無理に何かをしようとすると、またその反動がどこかでやってくるだけなので、身体をちゃんと休ませることに重点を置いたほうがいいんですね。
「自分の限界」は知っといたほうがいい。
「自分を知る重要性」を僕はいろんな媒体でお話していますが、その中には「自分の限界」を知ることも含まれています。
「ここまでやったら後で疲れすぎるんだな」「これ以上やったら無理し過ぎなんだな」というのが、「自分の限界」です。
この基準を知っておくことは非常に大切で、自分の限界を知らない人は、とっくにキャパオーバーしてるのにやりすぎてしまうんですよ。
その結果、「もうあかんで!強制的にストップかけたる!」と脳が言わんばかりに、メンタルかフィジカルに異常が現れるというわけです。
このような経験をされた方の多くは「自分の限界」について考えるようになるのですが、その一歩手前で踏みとどまっている人のほとんどは考えないんですよ。
昔の僕もその一人でした。
働きすぎだったあの頃。
まだ僕が京都に住んでいたときの話しです。
勤めていた会社を辞め、今の仕事で独立してからの3年間、この時間は人生で一番働いた期間だなと思っています。
朝は大体11時に起床して、その日の仕事がすべて終わるのが早くて23時。
大体夜中1時過ぎまでなんやかんや仕事をしている毎日でした。
たしか独立後の1年間は丸一日休んだことがなかったので、「さすがにこれはあかんなあ」と思い休日を設けるようにしましたが、それでも休みにもかかわらず2~3時間は仕事をしていたので、今思うと完全に身体が休まってる日がなかったと思います。
このときはまだゲームすることを封印していたので、楽しみといえば、家か外でお酒を飲むこととドラマや映画を見ること。
そしてギターの練習。
それに加えて筋トレや運動をしていたので、一日にいろんなことをめちゃめちゃ詰め込んでいたなと思います。
もちろん、世の中には僕よりも長時間働いている人は大勢いるので、「こんなにストイックに働いてた俺どう?」アピールをしているわけではありません。
僕が言いたいのは、やりすぎた反動が自分にもきっちり現れていたということなんです。
その反動がどういう形でやってきていたのかというと、飲酒時の泥酔。
1週間のうち半分は、記憶がなくなるまで飲んでいたことを覚えています。
当時は、「好きで飲んでるだけだし酔ってもかまわねえ」と思って飲んでいたのですが、今考えるとおかしいのが「酔わないと気がすまない」という衝動があったんです。
元々お酒を飲むペースは人よりも早いのですが、この衝動があったせいでさらに飲酒スピードが早くなっていたように思います。
なので、週の半分近くは二日酔い。
そんな飲み方が当たり前だったのでなんの疑問も持たず日々を送っていたのですが、奥さんのすすめもあって労働時間を減らした今、泥酔することがなくなったんですよ。
今なら分かります。
働きすぎだったし、やりすぎてたんだなと。
その反動がきっちり泥酔という形で現れていたんだなと。
個人事業主あるあるなんですが、組織に属していたときよりも長時間働いてしまうって珍しくないそうなんです。
誰も止める人がいないことと、作ろうと思えば仕事なんていくらでも作れることがその大きな要因ですが、とくに僕のように自宅で仕事をしている人は「働いてる」という自覚がないことも多いです。
「仕事してる」のであって、「働いてる」じゃないんですよ。
前者は能動的な解釈で、後者はどちらかというと受動的な解釈になります。
なぜ受動的になるのかというと、「働いてる」という解釈の多くが実は「働かされている」になっているからなんですね。
能動的にやってることは好きでしていることなので、だから時間間隔も加減も分からなくなりやすいんです。
僕はストレスを感じにくい体質なんですが、「好きで仕事やってるだけだし、ストレスなんて溜まってるはずがない」と当時は思っていたんですよ。
でも、きっちりストレスは溜まっていたし、どんなことでもやりすぎたら反動はかならず来るんだなと痛感しました。
休むことに罪悪感がある人。
カウンセリングをしていると、自己成長に余念がないクライアントさんからこういったご質問を受けることがよくあるんです。
もっと成長したいんですけど、
これ以上何をしたらいいか分からないんです。
どうしたらいいですか?
詳しく彼女たちのお話を聞いていると、例外なくといっていいほど「やりすぎ」てるんです。
だから僕はこう返すんですね。
ちゃんと遊んでますか?
休んでますか?
と。
そうしたら、ほぼ「遊ぶときは遊んでますよ」「休めるときは休んでます」と仰るのですが、さらに詳しくお話を聞くと、彼女たちの遊びと休息は「制限つき」なんですよ。
どういうことかというと、時間厳守だったり、好きなものの封印だったりするんです。
たとえば、外で遊ぶ時間は3時間までとか、スマホゲームは30分まで。
見すぎてしまうから大好きな海外ドラマをあえて封印していたり、時間がいくらあっても足りないから創作の趣味をやめてしまったりとか。
この制限があるせいで、思う存分遊べてないし休めてないんですね。
なので僕は、「その制限を解除しましょうよ」と言うのですが、そうすると皆さん、かならず渋った顔をされるんです。
なぜ渋るのかというと、遊ぶことや休むことに対しての罪悪感があるから。
ようするに、遊びや休息に時間を費やした分だけ、自己成長できなくなるみたいで躊躇が生まれるんですね。
この気持ち、昔の僕もそうだったので痛いほどよく分かるのですが、言うことは一つなんです。
どんなに身体に良いとされるものでも、摂取しすぎると害悪になるじゃないですか。
自己成長に余念がない人は、とにかく自分が成長できる要素や伸びしろがあるものに対しては貪欲になってしまうので、いわゆる「過剰摂取状態」になっていることがよくあります。
中には、過剰摂取しすぎてキャパオーバーになってしまい、自分にとって何が必要で不必要かが分からなくなることも多いです。
なんでも取り入れようとしすぎると、不必要なものまで取り入れてしまう。
なぜそうなってしまうのかというと、自己成長に関する物事の摂取量が増えれば増えるほど、「全部大切なもの」のように思えてしまうんですよ。
その結果、摂取する物事の優先順位が付けられなくなって、足し算はするけど引き算ができなくなってしまうんです。
僕が働きすぎていたときもまったく同じ状態を経験したのですが、それはとくに読書面でよく現れていました。
「自分にとって必要そう」という理由で読んではみるけれど、これって前提が「なんとなく必要そう」なんですね。
だから、その前提で読んだ本ってまったくといっていいほど頭に入ってないし、どんな内容だったか聞かれても忘れてるから答えられないんですよ。
逆に、「これは必要だ」と思える本だったらちゃんと頭に入っているし、どうでもいいような内容ですらも案外覚えてたりするんですよね。
ここで本題に戻しますと、自己成長に余念がない人ほどなぜ遊びと休息が必要なのかというと、「頭をリセットする時間」を作ることによって、本当に必要なものが何かを見つけることができるからです。
しかも頭が休まってるから、良いアイデアも生まれやすいんですね。
ファスティングってあるじゃないですか。
毎日フル稼働している胃を休ませるために行う、短期間の断食です。
胃のように身体的な疲れって察知しやすいけど、脳の疲れって察知しにくいですよね。
とくにいつも何かを考えている人なんだったら、それだけ脳をフル稼働させているということなので、胃と同様にちゃんと休ませる時間を作らないといけないんです。
そのためには制限をつけてはいけません。
だって、制限をつけてしまった時点で「時間を気にして遊ぶ」し、「本当はやりたいことがあるのに我慢している」という別のストレスを作ってしまうからです。
もちろん、ものには限度がありますしなんでもバランスが大事なので、遊びと休息だけに偏りすぎるとそれはそれでマズいのですが、休むことに罪悪感がある人は偏りすぎぐらいがちょうどいいと思います。
なぜなら多くの場合、そういった人たちが遊びと休息に偏らそうとしても、自制心が働くので、偏りすぎることがないからです。
そうは分かっていても、
どうしても休むことの罪悪感が消えない・・・。
そういった方もいらっしゃると思います。
実はこの罪悪感って、いきなり消えるものじゃないんですよ。
じゃあどうやって消していくのかというと、「遊ぶことと休むことに対する耐性」をつけないといけないんです。
実際、僕自身もこの耐性がない間は、どうしても休むことに対する罪悪感が消えませんでした。
しかし、それでも休むことを意識して生活するようにしていると、だんだんと違う気持ちが芽生えてくるんですね。
あれ?なんか前よりなんか調子いいぞ!
それに前まで謎にあった
「何かに追われてる感覚」もなくなってきた!
そうか、休んでもいいんだ!
というように。
頑張りすぎてしまったことで不健全な反動がよくきてしまう人はまず、「遊ぶことと休むことに対する耐性」をつけることが先決です。
強制的に、遊ぶための時間と休むための時間を作りましょう。
こういった人の初期段階は、遊びと休息に対する耐性がほとんど「頑張ること」に偏ってしまっているんです。
つまり、頑張ることに慣れ親しみすぎてしまい、遊びや休息に馴染みがなくなっている状態なんですね。
なので、その偏りをなくすために、遊びと休息に慣れ親しむ期間が必要になるわけです。
ちなみに言うまでもなく、自堕落した生活を送っている人は「努力耐性」がついてないので、この場合は遊びと休息に慣れ親しみすぎていることになります。
「完璧主義」であることの反動。
あと、なんでもかんでもつい完璧にやらないと気がすまないという「完璧主義」の人がいます。
こういった人の多くは完璧主義であるあまり、生きづらさを感じていることがよくありますね。
一般的な解決法として、「大体8割ぐらいでいいやと思えるようになること」みたいにいわれていますが、完璧主義者ってそうできないから困っているわけじゃないですか。
ちなみに僕は完璧主義なほうだと自分で思っているのですが、この性質で困ったことって実は一度もないんです。
世の中には同じ性質なのに、困っている人と困っていない人がいるのはなんでだろう?と考えたとき、前提が違うことに気が付きました。
それは、「他者が求める完璧さの基準」と「自己満足の完璧さの基準」なんです。
前者の場合、人が求めているものを完璧にしようとしすぎてしまうのですが、そもそも他者が求める基準って、こちらで100%分かるわけないじゃないですか。
なので、他者が求める基準を前提に完璧にしようとすると、どこまでやっていいのか分からない上に終わりがないから、疲れてしまうんです。
逆に、自己満足の完璧さが基準になると、自分が納得した時点で終わりになるわけです。
実際、バンドをやっていたときからそうだったのですが、それが文章に変わった今でも何かを創るときに、他者が求める完璧さを基準にしたことは一度もありません。
あくまでも基準は、まず自己満足できるかどうか、自分自身が納得できるかどうかだったので、他者の基準は二の次だったんですね。
だから、完璧主義でいることにストレスを感じたことはなかったのですが、この性質に苦しめられている人は、ちゃんと「自分の基準」を前提にしてください。
著書「幸福のための人間のレベル論」でもお話しましたが、世間体や人の評価を気にしすぎると終わりがないんですよ。
ビックリするぐらいそれはもうエンドレスです。
これって、他者が求める完璧さの基準もまったく同じなので、その点は忘れないでください。
僕が思うおすすめの休息方法。
一般的に頭を休ませるためには、「瞑想」が良いとされています。
でも、やったことがある人なら分かっていただけると思うのですが、雑念が浮かぶから頭を空っぽにすることがめちゃめちゃ難しいんですよね。
僕自身何度かトライしたことがありますが、「あ、これできねえや」と思って断念しました。
なので、別の方法で頭を休めたほうが効率的だなと思ったのですが、普段考えすぎてる人が完全に頭を空にするって至難の業なので、最初は「できるだけ頭を使わなくていいことをする」を目指せばいいんじゃないかなと思います。
たとえば、湯船にゆっくり浸かるとか、定期的にマッサージに行くとか。
頭を使わずに見れる動画視聴もおすすめですね。
そんな僕が最近の休息方法として取り入れているのは、「あつ森」です。
うっかり流行りに便乗したわけですが、毎日確実に3時間以上はプレイしています。
あつ森を創めて5日目のこと、ペルソナ5好きすぎてペルソナ部屋とJOKERを作りました。
まだまだレシピが揃ってないけど、今んとここういう感じの島です。
このゲームってクリアしてからが本番で、それまでも十分楽しめたのにまだまだやることが無数にあるんですよ。
「創作の趣味がほしい」という人で、Switchを持ってるんだったらぜひやってみてください。
そういえば、まだDSでどうぶつの森が出ていた頃「どんな感じなんだろう?」とやってみたことがあるのですが、全然ハマらなかったんですね。
考えてみれば当たり前の話しで、当時の僕は今ほど頭を使うこともしてなかったし疲れるようなこともしてなかったので、ゲームでのスローライフに興味を示せなかったんです。
それが今になってハマるということは、年齢も環境も大きく変わったということだなと思いました。
多くの人に愛されるどうぶつの森シリーズですが、その背景には、それだけ疲れている人が多いことも関係しているかもしれませんね。
今回のブログでは休むことの重要性について色々とお話してきましたが、そもそも間違えてはいけないのが、「時間をかけて頑張ればいいってもんじゃない」ことです。
つまり、大切なのは「限られた時間を有効活用する」ことであって、「時間を使えばやった気になれる」状態になったら、長時間労働に美徳を感じている残業が多い会社と何も変わらないんですよ。
通販サイトZOZOTOWNを運営している「スタートトゥデイ」は、一日6時間労働を実施して、一人あたりの労働生産性が前年比25%も上昇したといいます。
前提が「時間はある」だったら、集中しているようで逆にだらけることも多いと思うんですよ。
しかし、「限られた時間をどう使うか?」という前提なら、「無駄を省くにはどうしたらいいか?」「時間内で結果を残すには?」などを建設的に考えることができるので、たとえ短時間労働であっても集中度も仕事の成果も濃いものになるんですね。
とくに現在、まだまだコロナウイルス感染症の終息目処が立っていないので、先行きの不安など以前なら抱えることのなかったストレスがかかっているわけじゃないですか。
だから、この時期にまで頑張りすぎてしまう人たちに、僕はこう言います。
いいから休め。
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