「思ってることを言わない人」が、「思ってることを言える」ようになるのか問題。
withonlineで76回目のコラムがアップされました。
今回のテーマは「ネット上の脈ありなし診断を真に受けてはいけない」というもの。
コラムの中でもお話しているとおり、気になる男性が脈ありかどうかを確認するには、最終的に核心をついた言葉を使って相手の出方を見ないと分からないんですよ。
ネット上でよくある脈ありなし診断の代表的なものを挙げるのだとしたら、次のようになります。
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- 自慢話や自分のことを積極的に話してくる
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- よく目が合う
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- 連絡が沢山くる
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- 接していて笑顔が多い
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- 趣味や好みを聞いて合わせてくれる
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- 沢山質問してくれる
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- 距離が近い
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- 過去の恋愛遍歴を聞いてくる
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- 長文のLINEを送ってくる etc・・・
ここで断言しますね。
どれもこれも全部当てにならへん。
上から3つはコラムでお話したとおりなので割愛しますが、なぜ当てにならないのかというと、こういうことです。
誰にでもそうしている可能性があるし、いわゆる「ヤリ目」と呼ばれる相手なら女性が喜ぶことを知っているからあえてそうしている場合もありますからね。
それに、恋愛感情だと思っていたら執着だったというケースも多々ありますから、ますます当てにならないわけです。
あと、「好き避け」ってあるじゃないですか。
その名のとおり「好きだけど避けてしまう」というものになりますが、「好き避け男子の見分け方」といった情報もネット上でよく出ています。
しかし、いくら調べたところで悲しいことに現実は「本気の拒絶」であることがほとんどです。
その拒絶は、男性本人が自分のことが大嫌いだから、そんな自分のことを好きだと言ってくれる女性に対しても嫌悪感を覚えたり、人と深い関係を築くことがそもそも難しかったり、裏切られたくないから精神的距離が近くなってくると居心地が悪くなったりなど、様々です。
「ていうか、そんな分かりにくい相手を狙うなよ」という意見もあるでしょうが、脈ありなしや好き避け避けないにかかわらず、相手の思っていることって相手にしか分かりません。
相手が本当のところどう思っているかなんて、FBI捜査官やメンタリストでも分からないんですよ。
彼ら彼女らが見抜いているのって心理じゃなくて、「嘘をついているかどうか」なんです。
どうやってそれを見抜いているのかというと、相手の一瞬の微表情だったり、視線のやり場だったり、手足の仕草や会話の運び方だったりするわけです。
そういった部分を見て、「コイツ嘘ついてやがんな」とか「これは本当のことを言ってるな」と見分けているんですよ。
交際相手の浮気をすぐ見抜ける女性がいますが、意識してか無意識か、彼女たちは相手の表情や目線、仕草で嘘を見抜いているんですね。
ちなみに、「ライ・トゥー・ミー」という海外ドラマで、表情学者の主人公が毎回誰かの嘘を一瞬の微表情や仕草で見抜いているので、ご興味がおありの方はぜひ。
では、人の心理にたずさわるカウンセラーだったら、相手の考えていることを見抜けるのかというと、これまた見抜くことはできません。
あらゆる統計の中から可能性として高いものを提示することはできても、「この人は絶対にこう考えています」とは断言できないんですよね。
統計の取り方が違うだけで、占い師もそれは同じです。
つまり、「その道のプロ」でも相手の思っていることや考えていることまでは分からないのに、誰が書いたか分からないような脈ありなし診断に信憑性がないのは当たり前なんですよ。
経験や訓練を積んでいない素人に読み取ることができるのは、せいぜい「相手の喜怒哀楽」ぐらいだと思ったほうがいいでしょう。
結局、相手に踏み込んで核心をつかないことには脈ありかどうかなんて分かりません。
ただ、中には「普段から口数が少ない」「思っていることを言ってくれない」という男性を追いかけていて、「どうやって踏み込んでいいか分からない」という女性もいらっしゃるのではないでしょうか。
今回のブログでは、「思っていることを言わない人」をテーマに、「なぜそうなったのか?」という背景と、踏み込み方についてお話させていただきます。
目次
「思っていることを言わない」人は、なぜそのようになったのか?
男女共通して思っていることを口に出さない人がいますが、このセクションでは彼ら彼女らがなぜそのようになった背景をいくつかお話させていただきます。
1・毒親育ち
たとえば、親が支配的だったり、厳しいことは言うくせに一切ほめてくれなかったり。
いわゆる毒親の元に生まれた子どもは、親のエゴによって感情を封印することがよくあります。
たとえば、嬉しいことがあって喜んでいると「うるせえ!静かにしろ!」と怒鳴られたり、傷ついて悲しんでいると、理由も聞かずに「メソメソすんじゃないよ!泣いたってどうにもならないんだから」と一蹴されたりするわけです。
このように、親が子どもの喜怒哀楽を親が分かろうとしないことが続くと、最初は「どうにか分かってほしい」という気持ちだったのが、成長するにつれて「どうせ分かってくれない」に変化していくんですよ。
子どもにとって自分の親って大人のロールモデルみたいな存在ですから、「うちの親が分かってくれないことを、他人が分かってくれるわけがない」と解釈するようになるのは、ある意味当たり前です。
その結果、思っていることを言わない大人になっていくんですね。
「思っていることが言えない人は、波風を立てたくないからそうしている」といわれることがよくありますが、これは親子関係が原因になっていることも多いです。
「親を怒らせたくない」が、「人を怒らせたくない」になってしまうんですね。
2・兄弟が多い
意外によくあるケースがこれです。
単純に、兄弟の数が増えるにつれて我慢することが多くなりますからね。
それで自我の抑圧が生まれることは珍しいことではありません。
しかも、考えてみれば当然なのですが、子どもが増えるにつれて親の愛情は分散されてしまうんですよ。
どれだけ親が子ども一人一人に対して100%の愛情を注ぎたいと思っていても、時間的にも物理的にもそれは不可能です。
家族関係だけじゃなく、人間は大事にできる人間の数が限られていますから、その数が増えすぎるとキャパオーバーも起こします。
たとえば、いつもイライラしているお母さんがいるとしましょう。
このお母さんはすでにキャパオーバーを起こしているからそうなっているわけですが、兄弟の誰かが怒られるようなことをする度に爆発するんです。
すると、何も悪いことしてない子どもですらも、だんだんと自分が怒られているような感覚になっていき、「お母さんを怒らせてはいけない」と思い、自我を出さなくなるのはよくある話しなんですね。
他のケースだと、兄弟の中でも「上手いこと立ち回れない子ども」が親の標的になる場合もよくあります。
その結果、上手いこと立ち回れる兄弟の誰かが可愛がられ、そうできない子どもは我慢することが多くなり、自我を出さなくなっていくことも。
ちなみに、二人兄弟だったとしても「兄(弟)だけが可愛がられて、自分だけ可愛がってもらえなかった」という場合も多く存在しますから、親のえこひいきが原因で自我を出せなくなり、思っていることを言えない大人になった人も結構多いですね。
3・自主性を奪われた
これもまた家庭環境によるところが大きいです。
たとえば、親が過干渉すぎて子どものやりたいことを制限したり、親が決めたことしかやらせてもらえなかったり。
親がこうやって子どもの自由を奪っていくと、「どうせ自分の意見なんて通らない」と思うようになってしまうんですね。
でもこの状態ってまだましで、一番よくないのって「自分は考えなくてもいいんだ」と思考停止になることなんです。
自分で考えなくても親が決めてくれていたし、親元を離れた場合もそれは変わらないんです。
つまり、「自分で考えない」ことが当たり前になりすぎて、無意識に「ほかの誰かが決めてくれる」という前提ができてしまうんですよ。
「あなたはどうしたいの?」と聞かれても答えられないこともよくあり、自主性を奪われてしまったから「自分がどうしたいのか?」「何を選びたいのか?」が分からないんですね。
たとえば、誰かとご飯を食べに行って自分では決められないから、つい相手と同じものを頼んでしまうという人。
深刻な状態になると、「自分が何を食べたいのか分からない」という場合もあるんです。
自主性がなくなったまま大人になった人は、「思っていることが言えない」じゃなくて、そもそも「考えたことがないから言えない」になることがよくあります。
それに類似したケースが次になります。
4・「自分で考える」習慣がなかった
悲しいことに、日本人の多くは考えることが苦手です。
誰かと同じことを安心するという「右に倣え種族」と揶揄されることもよくあり、自分の意見がない人のほうが多いんですよね。
そして、そういった人たちの多くは疑問も持たないです。
しかし、僕たちは子どもの頃にちゃんとあらゆる物事に疑問を持ってたんですよ。
たとえば、「なんで救急車は前を通り過ぎたらサイレンの音が変わるのか?」とか、「なんで年中暑い国や寒い国があるのか?」とか。
こういった疑問を僕たちは親や大人に「なんで?ねえなんで?」と聞いていたのですが、「そういうものだから」とか「そう決まっているから」というように答えられることが続くと、「そういうものなんだ思考」が根付いてしまい、疑問を持たなくなってしまうんですね。
しかも、ものを教える立場の教師ですらも、生徒からの質問に「そういうもの」と答える場合がよくあり、このように家でも学校でも疑問をなかったことにされることが続くと、「難しいことは考えなくていい」と錯覚する子どもが増えるのは当たり前なんです。
相性の問題はさておき、基本的に会話が続く人同士が何を話しているのかというと、そこには必ず「深い話し」が組み込まれています。
しかし、この深い話しは日頃から考える癖をつけている人じゃないとできなくて、今まで考える習慣がなかった人だと表面的な会話しかできないんですね。
一例を出すと、同じ映画を見た人同士が会話をするとしましょう。
ここで考える習慣がない人は、「面白かった」「感動した」など感情にまつわることしか言えないんですよ。
その結果、感情の共有で話しが終わることが多いです。
しかし考える癖がある人は、「なぜ面白かったのか」「なぜ響いたのか」まで考えるし、場合によっては「なぜあの登場人物はあの場面でそうしたのか?」とか「自分だったらあの場面でどうしていたか?」まで話しがおよびます。
すると、たった一つの映画の話しをしているだけなのに話題が多岐に渡るので、会話が続くんですね。
なので、「考える習慣がなかった」というケースも「自主性を奪われた」ケース同様に、思っていることが言えない」じゃなくて、そもそも「考えたことがないから言えない」になります。
ちなみに、「考えすぎだよ」とか「気にしすぎだよ」と言う人がいますが、こういう人たちは例外なくといっていいほど考える習慣がない人です。
つまり、「考えなさすぎ」ということです。
5・言う価値がないと思っている
つまり、「話すだけ時間の無駄」と思っているということです。
思うところはあるけれど、「どうせ理解してくれないだろうな」「言っても伝わらないだろうな」と相手に対して思っていたら、言わないんですね。
人間のレベル論でたとえると、気づいてるステージにいる人が、気づいていないステージの人に対してこう思うことはよくあります。
あと、下記記事でお話したように「人として信用できない」と相手に思ったら、その時点で本心を言わなくなることも多いです。
【信用できない女性に心を開けない理由】
そもそも、信用できない人に打ち明ける本音はないですし、それはどんな関係性でも同じことですね。
恋人同士、家族、夫婦などいろんな関係がありますが、物理的距離が近いだけで精神的距離まで縮まるわけじゃないですからね。
以上になりますが、今お話したケース以外だと「信じていた人に裏切られた」というように、過去のトラウマが引き金になって思っていることを言えなくなってしまったという人も存在します。
ただ、こういったケースは少数になり、どちらかというと元々思っていることをそんなに言えるほうではなかったけれど、誰かに裏切られたことで余計言えなくなってしまったという人のほうが多いような気がします。
あと、「付き合ってた彼女に裏切られたのがトラウマ」だとか「女性と付き合うのがトラウマ」だとか言う男性がいますが、そう言いながらきっちり手を出してきたのであれば、それはトラウマでもなんでもありません。
こういう人に限らず、すぐにトラウマという言葉を持ち出す人がいますが、「なんでもかんでもトラウマって言いすぎやねん」ってことです。
「思っていることを言わない人」はそういう性格じゃないのか?
多くの人が勘違いしやすい点としてあるのが、「思っていることを言わない人は元々そういう性格なんじゃないか?」というもの。
たしかに、普段から大人しかったり控えめだったりする人は、自分からはあまり話すことがないので「思っていることを言わない人」と見られることがよくあります。
しかし、これはただ聞き役に回ることが多いだけだったり、元々の気質が近い相手だと会話が続かないことがしばしばあったりするので、だから余計にそう思われるのかもしれません。
ただ、元々の性格が大人しくて控えめであっても思っていることをはっきり言う人もいるので、元々の性格ってあまり関係ないんですね。
周りに気持ちを分かってくれる人がちゃんといて、自主性を発揮できる機会が多く、考える習慣もあると、元々の性格に関係なく思っていることをちゃんと言います。
それに育った環境によっては、自我を出せなくなって大人しくなったり控えめになったりした人も存在しますし、この場合は元々の性格じゃなくて人格が変化したことになるので、前述した1~3のケースに該当するんですね。
あと、思っていることを言わない人の中には社交的な人間も多いので、そういった意味でも元々の性格はあまり関係ないと思ったほうがいいでしょう。
「思っていることがあるなら言え」というのが無理な話し。
そもそも忘れちゃいけないのが、思っていることを言わない人って「思ったことを言語化する習慣」がないんですよ。
なので、「思っていることがあるならちゃんと言ってほしい」と言ったところで、言葉にすることができないんですね。
それは、言いたいことがあるけど言えないという場合だけではなく、自分がどう考えているか自分でも分かっていなかったり、思うことがあるけどどうやって言語化していいか迷ったりとそれは様々です。
とはいえ、思っていることが言えない人の多くの場合が「どうせ言っても無駄だ」とか、「言って嫌われたり怒られたりするのが嫌だ」と考えているのは否めないので、「言わない」ことが習慣化してしまっています。
たとえば、職場で「言いたいことがあるならはっきり言え」と言う上司がいるじゃないですか。
「そんなもん、お前に言えるんならとっくに言うとるわ」と思って言わない人のほうが多いですよね。
思っていることを言わない人って、常にこういう状態であると思っておくと分かりやすいのではないでしょうか。
では、思っていることを言わない人にどうやって踏み込んでいけばいいのか?
踏み込む前の大前提として、相手に「人として信用されている」ことが必要です。
心を開けない相手に対して本音を言うことなんてできないですし、恋愛だけではなく、これはどの人間関係にも共通していえることです。
【信用される女性が守っている7つのルール】
正直、相手に信用されるのが一番の難関といっても過言ではありません。
なのでこの部分をクリアできれば、普段思っていることを言わない人でも、信用している人の前でだけは本音で話してくれるという現象が生まれることはよくあります。
というかこの現象は誰にでも共通することなので、それぐらい信用問題は重要なんですね。
相手に考える癖を根付かせる。
しかし、これまで「自分で考える習慣がなかった」人は思考停止状態に陥っていることがよくあり、信用を得ることができても思っていることを言わないままの状態が継続していることが多い。
とくに日本人は自分自身の感情や行動に対し「なんでこう思うんだろう?」「なんで○○したんだろう?」と疑問を持つことも少ないので、一緒にいる人が質問を繰り返していき、「考える癖」をつけさせることも必要になります。
それはどういった質問なのかというと、次のような問いかけです。
「あなたはどう思っているの?」
「なんでそう思ったの?」
「どうして○○したの?」
「本当はどうしたいの?」
「なんでそう考えるようになったの?」
会話の要所要所でこれらの質問を織り交ぜていくわけです。
ただ、こういった傾聴スキルはかなり高度な技術になる上に、相手は習慣にないことをしようとしているので、質問を繰り返していると考えること自体がストレスになることがよくあります。
最初は質問の答えが「なんとなく」「分からない」だったのが、そのうち「なんでいつもそんなこと聞くんだよ!」というように、怒りをぶつけられるケースも多々あるんですね。
それでもめげずに、「気を悪くしたらごめん、詮索してるんじゃないんだよ。私はただ、あなたのことを正しく理解したいだけなの」と「嘘偽りない言葉」で返すようにしていると、時間の経過も相まって今度は相手が「考える習慣」にシフトしていきます。
幾度となく、「なんで?」「どうして?」と自分の感情や行動の動機について質問されるわけですから、そのうち相手も「そういえばなんでなんだろうなあ」と自分自身について考えるようになっていくわけです。
自主性を持たせる。
これは分かりやすくいうと、相手がチャレンジしようとしていることを「興味津々で後押しする」ことです。
このチャレンジは、「どうしようかな、やってみようかな?」止まりのことや、「やってみたいけど怖いんだよな」というように恐怖がストッパーになっていることなど、様々です。
そんなとき、興味津々でチャレンジを後押しされると、急にやる気になってスイッチが入るのはよくあることです。
これからチャレンジしようとしていることに「何それ!めっちゃ面白そう!」と興味を示され、「いいじゃん!やってみなよ!」というように後押しされると、悪い気がしないどころか嬉しいですからね。
ポイントは、ただ「いいんじゃない?やってみれば?」というように後押しするだけじゃなく、興味津々であることが重要なんです。
なぜなら、自分がチャレンジしようとしていることに興味を示されると、「これからやろうとしていることは間違いじゃない」という確信も得られるからです。
ちなみにチャレンジとは、「今よりも大きな会社に転職したい」「起業したい」といったものだけではなく、「どこどこに行ってみたい」「○○を食べてみたい」といったものも含まれるので、とくに今まで自我を封印していた人だと、たとえ些細な物事のように思えることでも一歩を踏み出すことが難しい場合がよくあります。
その封印されていた自我を解放するためにも、自主性を持たせることが必要になるというわけです。
相手の良さを引き出す。
思っていることを言わない人の中には、今まで親やほかの誰かに否定されすぎて、自分を責めすぎていることがよくあります。
たとえば、大人しい性格でおっとりしていることがその人の良さなのに、他者に「あんた見てると辛気臭くてイライラする」というように言われ続けていると、自分が自分でいることがダメなように思えてくるんですね。
この人は、自分のことを多くは語らないけど、聞き役に回ってくれて話しをちゃんと聞いてくれるとします。
そのとき、「こうやってちゃんと私の話しを聞いてくれるのって、あなたしかいない」とか、「自分が自分がって前に出る人が苦手だから、あなたがおっとりしていて良かった」という感じで伝えていくと、「自分を否定する人だけじゃなくて肯定してくれる人もいる」という認識が芽生えてくるんです。
自分自身を否定しがちな人に対して、「そんなことないよ」「そのままで大丈夫だよ」と言ったところで、何も響かないんですよね。
なぜなら、そこに明確な理由付けがあるわけでもないし、理由がないことで本心で言ってるように聞こえないからです。
とくに、「もっと自信持って!」という返しとかは、個人的に最悪だと思っています。
理由も根拠もない上に、どうやって持てばいいか分からない自信を丸投げにされるわけですからね。
なので、相手の良さをちゃんと認識してもらうためには、明確な理由付けを込みで言わないといけないし、できれば「ほめる」というよりか「感想を伝える」という概念のほうがいいかもしれません。
なぜなら、今まで人からあまりほめられた記憶がない人だと、ほめ言葉自体が苦手なケースもあり「あなたのことをほめてますよ」という体で来られると、受け入れがたく感じるからです。
それに、ほめ言葉を人から言われたら、何かしらの反応をしないといけなくなるじゃないですか。
でも、感想なんだったら一個人の意見なので、反応するもしないもこちらで決めることができます。
たとえば、「すごいよね」と言われるのと「私はすごいと思ったんだよね」と言われるのとでは、同じ意味合いでも受け取り方が変わってきます。
肯定的な意見を「個人的に」言われるほうが、「この人は味方だ」と認識しやすくもなりますからね。
思っていることを言わない人相手だけではなく、その人の良さを引き出したいのであれば、「その人の味方であること」も大切というわけです。
以上になります。
繰り返しになりますが、最後の踏み込み方に関しては「信用されていること」が大前提としてあるので、そこは忘れないでください。
そして、人間関係である以上は「相性」があるので、たとえ上記の踏み込み方を実践しても、思い通りの結果になるとは限りません。
とはいえ、普段から思っていることを言わない人が言えるようになるには、接する側の人間の労力も時間も必要になるので、短期間でどうにかなると思わないほうがいいでしょう。
最低でも3ヶ月、平均半年以上はかかると思っておいたほうがいいです。
しかもその間に信頼関係が持続していることも必要になりますから、生半可な覚悟で挑めるような物事ではないのはたしかですね。
最後に身も蓋もないことをお話しますと、「そこまでしてこの人に思っていることを言ってほしいかどうか」はよく考えたほうがいいです。
中には、下記記事でお話したような「虐待された猫状態」になっている男性もいますからね。
【虐待された猫のような男性とは?】
下手をすると、接している側の女性の心が傷だらけになることもよくありますし、追いかける相手によっては踏み込み方よりも、引き際を考えたほうがいい場合もあるんです。
では、思っていることを言えるようになるのはどういう人なのかというと、「素直さ」と「正直さ」を忘れていない人。
なぜなら、素直じゃないと自分の思っていることに気づきにくいし、正直じゃないと人に本心を伝えることができないからです。
実はこの2つ、人が変わるための最低条件でもありますから、思っていることを言わないが言えるようになるのも、「人が変わる」に該当するんですね。
あなたに、どうしても思っていることを言ってほしい相手がいるんだとしたら、その人が「素直さと正直さ」を兼ね備えた人物かどうか、ちゃんと見てください。
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