無駄に自己評価が高い人の人生が上手くいかない理由を教えてやんよ。
withonlineで104回目のコラムがアップされました。
今回のテーマは、「キラキラコンプレックスを抱く人」です。
キラキラコンプレックスというのは、キラキラしている人に対して抱く劣等感のことです。
たとえば、スクールカーストの上位にいて異性にモテまくってる人や、仕事での成績が優秀な上に人望まである人。
こういう人たちって、仲間も沢山いるし毎日が楽しそうだから、羨ましがられることは日常茶飯事です。
そこで、「自分もあんな風になりたいから頑張ろう!」と思える人や、「いいなとは思うけど、自分がそうなりたいとは思わないかな」と思える人は、向上心があったり自分のことを俯瞰できたりしているから別にそれでいいんですよ。
問題なのは、相手と自分を比べて「どうせ自分には無理だ」と自虐に走ったり、相手の気に入らないところをあら探しして「あんなの大したことねえよ」と嫉妬すること。
前者は自己評価が低い人で、後者は自己評価が高い人であるケースが多いです。
個人的に厄介だと思うのが、自己評価が高い人。
なぜかというと、自己評価が高い人って自分で思っている以上にできてないことの方が多いのに、そのくせプライドだけは無駄に高く、承認欲求も人一倍強いからです。
自己評価が高ければ高いほど、その傾向が強くなります。
逆に自己評価が低い人って、実際の自分よりも価値設定を下にしてしまっていることが多いので、周りから見ればいいところを沢山持っている場合がよくあるんですよ。
過去の僕は無駄に自己評価が高かかったので、当時を振り返って客観的に見てみると、痛々しかったなと思うし、自分でも厄介だなと思いました。
だから余計に、自己評価が低い人よりも高い人の方が厄介だと感じるんでしょうね。
もちろん、自己評価が低すぎても厄介な存在になりえるのですが、彼ら彼女らは普段から人の顔色を伺うことが多いので、適度な距離を保って付き合えば、こちらに直接害を及ぼしてくることはそんなにありません。
しかし自己評価が高い人は、こちらに直接害を及ぼしてくることがあるのです。
今回は、そんな「無駄に自己評価が高い人の人生が上手くいかない理由」に焦点を当てて、お話いたします。
目次
自己評価と自己肯定感は同じではない。
まず、大前提として理解していただきたいのが、自己評価と自己肯定感の高低は結びつかないことです。
この2つはまったく関係ありません。
この部分を混同して考えている人がかなり多いのですが、自己評価について先にお話させていただきます。
自己評価とは、その名のとおり自分で自分の評価を決めること。
この評価が高い人は、「私って可愛い」「私は性格がいい」「私は仕事ができる」というように、周りの評価ではなく自分でそう思っている状態なんです。
次に、自己肯定感とは、自分を受け入れることができる能力になります。
つまり、誰かに「可愛い」と言われれば、「私って可愛いんだ。そう思っていいんだ」という状態。
逆に「アンタってブスだよね」と言われたら、「ブサイクで上等よ。それの何が悪いわけ?」と、自己肯定感の高い人は思います。
そういえばクライアントさんの中には、自分で「私は自己肯定感が低くて」と仰る人が結構多いのですが、自己評価が低いだけで、自己肯定感が低いわけじゃないというケースがよくあります。
自己肯定感が低いと自我を封印してしまうので、思っていることは言えないし、思ったとおりに行動することもできないからなんです。
でも、彼女たちの話を聞いているとそうではないので、ただ自己評価を自分で低くしているだけだったりするんですね。
逆に、世の中には自己評価が高くて自己肯定感が低いという人も沢山います。
今回は、自己評価が高い人がテーマなので、彼ら彼女らの自己肯定感は、どのような結びつきがあるのかを、次に解説いたします。
自己評価が高い✕自己肯定感が高い状態
多くの場合、この状態の人はキラッキラしています。
親から愛情をたっぷりもらえて、小さい頃から周囲の人間にほめられて大人になっていることがよくあるので、いわゆる無敵状態でもあるんですね。
憧れの対象になることが多く、逆に嫉妬されることもよくあります。
しかし、自己評価も自己肯定感も高いので、妬まれたところで本人は痛くも痒くもありません。
むしろ、嫉妬されることが原動力になっている人もいるぐらいで、「あらあら嫉妬しちゃってんの?悔しかったら私のようになってみなさい」というように、妬まれることに快感を覚えることはよくあります。
もちろん、嫉妬されてもこのように思わない人も大勢いるのですが、謙虚になるか傲慢になるかは、親の育て方によって変わると思っていいでしょう。
なぜなら、たとえ親が愛情たっぷりに育てたとしても、道徳的価値観が歪んでいたら子どもはまともな大人には育たないんですよ。
たとえばどういうケースが該当するかというと、親がものすごい権力を持っているから、子どもが犯罪を犯してももみ消すみたいな事件があるじゃないですか。
刑事ドラマなどでよく目にするシーンでもありますが、大体この子どもは、自己評価と自己肯定感は無駄に高いけど、人格が磨かれずに育った未熟でただの嫌な奴です。
親がちゃんと躾けてないから、万能感を喪失しないまま大人になってしまったんですね。
だから、自分は神様かなんかだと勘違いしてるんです。
逆に、親がたっぷりと愛情を与える中で、ちゃんと躾もして教養を学ばせたら、ジョナサン・ジョースターみたいな大人になります。
ただ、彼の場合は自己評価が無駄に高いわけではなく、どちらかというと、自己評価と実際の自分が一致している側の人になりますね。
自己評価が高い✕自己肯定感が低い状態
これは、自分が何者かであると信じたい人に多いケースです。
たとえば、何の取り柄も能力もないのに、「俺はこんなところで終わる人間じゃない!ビッグになってやる!」と口では言うけれど、いつまで経っても具体的に行動しないし、「実はこの人、自分で言うほど自信ないんじゃね?」と思われるような人が分かりやすいのではないでしょうか。
本当の自己肯定感の高さって、自分の悪い部分もちゃんと自覚している状態なんですよ。
ということは、できてない自分も認めてこそ、自己肯定感が高い状態であると言えます。
ちなみに、前述した人格が磨かれずに育った自己評価と自己肯定感が高い子どもは、そもそも自分に悪い部分があるとは思ってないんですよ。
親も教えてないし、周りも言わないから、本人は完璧な人間だと自分で思ってるんですよね。
なので、この場合の自己肯定感の高さは、自分の良いところだけを切り取ったものとなります。
しかし、自己評価は高いけど自己肯定感が低い人は、自分の悪い部分を知っている上で、認めたくないんですよ。
なぜ、それを知っているのかというと、他の誰かから指摘されたことがあるので、情報としては分かってるんですね。
でも、それを認めてしまえばしまうほど、自分が大した人間でないことを自覚しないといけないので、だから認めたくないんですよ。
さらに、自己評価は高いけど自己肯定感が低い人の傾向として、「親が一切ほめてくれなかった」「親が否定ばかりしていた」という背景がよくあります。
だから、自分のことを認めてほしい気持ちが肥大化して、自己評価だけが高くなってしまったんですね。
梨泰院クラスをご覧いただいた方なら分かっていただけると思うのですが、悪役を務めていたチャン・グンウォンが分かりやすいかもしれません。
自己評価が高い人が厄介な存在になる理由。
自己肯定感の高低はさておき、自己評価が高い人が厄介な存在になる一番大きな理由があります。
それが何かというと、「挫折」なんですよ。
この挫折経験は、次のようなものになります。
1・頑張って取り組んでいたことがダメになった
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- 【例】プロになりたくて一生懸命やっていたスポーツを、怪我をして断念した
2・順風満帆に見えたことが慢心でポシャった
-
- 【例】せっかく夢を叶えることができたのに、調子に乗って不祥事を犯した
3・自分が一番だと思っていたら上には上がいた
-
- 【例】神童とあがめられていたのに、外の世界に出て自分よりもすごい人間が他にいた
4・嫌悪を感じる相手が現れて負けた
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- 【例】嫌いな人間に好きな人を奪われた
5・これまでの自分を全否定された
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- 【例】今までの自分が間違っていることを誰かに思い知らされた
大体この5つのどれかに該当する出来事が起こって、そこから挫折することが多いのですが、自己評価が高くて厄介な存在になってしまう人は、その経験をしたことによってすねちゃうんですよ。
自己肯定感が高い人は、「1」「2」「3」のケースに該当することが多くて、低い人は、「4」「5」のケースに当てはまることが傾向として強いです。
そして、自己評価が高い人が、挫折経験によりすねた結果、どう厄介な人間になるかというと、次のようになります。
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- 何も頑張らない人間になる
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- 人のあら探しばかりするようになる
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- 人を見下し自分はまだ大丈夫と安心する
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- すぐマウントを取ろうとしてくる
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- 自分ができないことをできている人間に対し、さらに妬むようになる
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- 人や環境のせいにすることが増える
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- 武勇伝や自慢話が多くなる
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- 努力なんて無駄とひねた考えになる
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- 頑張っている人の悪口を言うようになる
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- 自分と同じような人間とつるみ出し、傷の舐め会いをする
挫折してすねてしまう人は、そのすね具合が酷くなるほど、これらの項目をすべてコンプリートします。
逆に、すね具合がそれほど酷くない人ほど立ち直りが早くて、再起する可能性が上がりますね。
言うまでもありませんが、人生を揺るがすような挫折を乗り越えてる人って、めちゃめちゃ強いんですよ。
もちろん、乗り越えた人でも挫折経験を味わったときは、一時的にくさってすねることがあります。
しかし、彼ら彼女らは「それではいけない」と思い直し、再起に向けてもう一度あがくんですよね。
では、そのまますね続ける人に何が足りないのかというと、「打たれ強さ」なんですよ。
今までそんなに打たれたことがなかったから、その耐性がついてないんです。
だから、挫折してすねてしまうんです。
打たれ強さがない人に欠如しているもの。
では、打たれ強さがない人は、何が欠如しているのでしょうか?
それは3つありまして、「努力」「忍耐」「根性」なんですよ。
おいおい、ここに来て
精神論や根性論の話かよ。
と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、そうじゃありません。
まず、精神論や根性論って、次のようなことを指すんですよ。
「頑張れば報われるときがやってくる」
「つらいことがあっても歯を食いしばらないといけない」
「死ぬ気でやればできないことはない」
パワハラ上司がよく言う、「同じ仕事を3年続けられない奴はダメ」とか「ここで通用しない奴はどこに行ってもダメ」なども、精神論や根性論になりますね。
なぜこういう理論が嫌われるのかというと、努力と忍耐と根性を押し付けすぎるから、嫌がられるんですよ。
自発的にそう思って頑張れないことを、自分がそうしてきたからと言って、外野が口うるさくするから拒否反応が生まれるというわけです。
勘違いしないでいただきたいのは、「努力」「忍耐」「根性」というワードが出たからといって、精神論や根性論とゴチャ混ぜに考えないこと。
その上で、生きていくたくましさがない人は、決定的に「努力」「忍耐」「根性」の3つが欠落してると言いたいんですよ。
だから、踏ん張らないといけない場面で逃げるし、戦わないといけない場面で屈服する。
踏ん張らないといけない場面というのは、逃げたら今後の自分の人生において、汚点を残すようなことです。
その汚点は、人の信用をなくすことにつながったり、自分にとって不利益が生まれてしまったりすることになります。
戦わないといけない場面というのは、相手の理不尽さや不誠実さに対してです。
相手がめちゃめちゃなことを言ったりしたりしているのに、それに対して声を上げられない人は、そのまま搾取されてしまうんですよね。
ちなみに、今一度「努力」「忍耐」「根性」という3つの言葉の意味を振り返ってみましょう。
【努力】
-
- 目標実現のために、心身を労して努めること
【忍耐】
-
- つらさ、怒り、苦しさに耐え忍ぶこと
【根性】
-
- その人の本来持っている性質を貫くこと
ちなみに、我慢と忍耐もゴチャ混ぜにしてはいけません。
我慢とは、やりたくないことや嫌なことをしぶしぶ受け入れて耐えること。
忍耐とは、やりたいことをやったり理想の自分になったりするために、避けては通れない嫌なことややりたくないことに耐えることなんです。
つまり、
なので、誰かにこき下ろされて腹が立ったときに、
お前、絶対に覚えとけよ!
必ず文句言わせないようにしてやるからな!
という負けん気を持ち、努力をして二度と文句を言わせないようにする。
そして、自分よりもはるかにすごい人間と対峙したときは、
負けた・・・。
こんなにも悲しくて悔しい思いは初めてだ・・・。
でも、今は勝てないかもしれないけど、
いつか絶対に追いついてみせる!
と、くさらずに耐え忍び、自分ができることを積み重ねる。
そして、相手の理不尽さや不誠実な言動に対しては、
それには納得できません。
理由もなしにやれと言われても嫌です。
ちゃんとした説明をしてください。
というように、根性で乗り切る。
こういう経験が少ない人ほど、打たれ弱くなってしまうのをご理解いただけたでしょうか。
僕自身、あまり「努力」「忍耐」「根性」と書きたくはありませんが、つまりは「文句を言わせない自分」「耐え忍ぶことができる自分」「戦える自分」で在るために、この3つはどうしても必要になると言いたいのです。
なので、自己評価が高くて厄介な存在になってしまう人たちの多くは、これらの3つを放棄してしまったんですね。
とはいえ、一度でも夢を実現するために一心不乱に頑張った人や、すでに夢を叶えた人は、身を持ってこの3つを実践した過去があるわけですから、たとえ挫折しても、再起しやすいと言えるでしょう。
「つらかったら逃げてもいい」という風潮がありますが、これはすでに努力と忍耐と根性を発動させた上で、どうにもできなかった場合に限ったことではないでしょうか。
自己評価や自分の性質に関係なく、なんでもかんでも逃げていたら、打たれ弱いだけでなく「人としても弱い」ままなんですよ。
すねた人間にならないためにも、たくましく生きるためにも、そうできる分だけの負けん気や耐え忍ぶ精神力、立ち向かう勇気は必要だということです。
今回は、無駄に自己評価が高い人の人生が上手くいかない理由についてお話しましたが、こういう人たちがいるせいで、今現在嫌な思いをしている方もいらっしゃるかもしれません。
これだけは断言できるのですが、たとえ彼ら彼女らの今がどんなに幸せそうに見えても、必ず人生のどこかで頭打ちする場面がやってきます。
もしくは、すでに頭打ちしてすねた自分が定着してしまい、それを見透かされるのが嫌だから、幸せそうに振る舞っているだけです。
なので戦うだけでなく、こういった人間に振り回されない自分でいるために、アイデンティティをさらに確立させたり、相手の存在が気にならなくなるぐらいに幸せな人生を手に入れることは大切なんですよ。
本当に幸せになれる人は、自己評価と実際の自分が一致していて、自己肯定感が高い人だということをお忘れなく。
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