【感謝できないって】感謝とお祝いって強制されてするもんちゃうんやで論・後編【ダメなこと?】
前回の続きになります。
【前編はコチラから】
目次
腹立つ相手に感謝なんかできるわけがない。
感謝をするにしても一つ注意しないといけない点がありまして
それは「自分に害をおよぼしてきた人に対する感謝」です。
たとえば、いつもことあるごとに怒ってくるパワハラ上司や
なにも悪いことをしてないのにひどい振り方をした元恋人、
借金を申し込まれて断ったら逆ギレをしてきた昔の友人など、
こういった人たちに対しての感謝は、無理やりしてはいけません。
感謝耐性をつける上で「ありがとう」と言う対象の人たちは、
あくまでも自分になにかをしてくれた「害がない人たち」に対してだけなんです。
「嫌だな」「腹立つな」「イライラするな」
と思っている相手にまで感謝しようとすると、
それこそ「思ってもいないことをしている」ことになるので
この場合の感謝は無理にしなくていいんですよ。
これは、とある知人女性のお話ですが、
彼女はずっと片思いしていた社内の後輩の男性が
別の女性と結婚することがわかって
ずっと落ち込んでいたんですね。
その結婚相手というのが違う部署の女性で、
会社のコンプライアンス違反になるので
本来であれば社内恋愛はご法度なそうなんです。
しかも、
結婚が決まった2人に対して会社は
「ルールとしてはダメだけど、
結婚するんだったらしょうがない」
という感じだったのに、知人女性は直属の上司に
「今後こういうことが起こらないように
もっと管理を徹底しろ」と怒られたそうな。
彼女はこう言ってました。
「今でもすごい悲しいし、最初は泣いてばかりの毎日やってん。
でも、時間が経ってきたらだんだんと腹が立ってきたわ。
こいつ、コンプライアンス違反して不義理しやがって、
私の顔に泥塗りやがって!
なんで私が怒られなあかんねん!
私のこと振りやがって!別れたらええねん!
結婚破棄になったらええねん!って。
そんなこと思う自分が性格悪いと思って
『あかんあかん、今まで後輩に世話になったこともあるし』とか
『好きな人の幸せを願えへん自分はダメや』って思い直したんやけど、
『あれ?これって、メンタルの病気になる人の考え方や』って思ってんか。
だって、思ってもないこと思えって言われても無理やもん。
腹立つねんし。だから、徹底的に黒い感情を出し切ってやろうと思ったわ。」
実はこれが正しいんですよ。
サイコパスという人種以外、良心と罪悪感があるので、
どす黒い感情が頭に浮かんだとき、どれだけ嫌いな相手でも
「だめだめ、あの人も同じ人間なんだから、
そんなこと思っちゃいけない!」とストッパーがかかるんですよ。
しかし、こうやってストッパーをかけていると
思ってもいないことを強制的に思うようにしようとするので、
心に多大なストレスがかかってしまうんですね。
「もうあいつ、マジで大っ嫌い!死ねばいいのに!」
と言っている人のほうが実は健全で、
思っていることを口に出してはっきり言っているから
その分のストレスが軽減されているんですよ。
だから、愚痴ったらすっきりしたという現象が生まれるわけです。
もちろん、人のことを悪く言わないに
越したことはないかもしれませんが、
そんなことはもっと後の話しなんですよね。
しかし、愚痴ばかりを言い続けてしまうと
「卑屈な人間になってしまう」のは、紛れもない事実。
そういった人間にならないように
相手に感じたどす黒い感情に支配されず、
処理する方法をお答えさせていただきましょう。
愚痴を言うのが悪いんじゃない。垂れ流しになるのがいけない。
その方法とは、
「一旦すべて感情を吐き出して、
絶対に今より良くなってやると誓うこと」なんです。
自分でドン引きするぐらいの
たとえどんなにどす黒い感情であったとしても、
まずは一旦吐き出しましょう。
友達に
「お願いちょっと愚痴らせて!ひどい発言するかもしれないけど引かないで!」
とお願いするもよし、ノートに感情を書きなぐるもよし、
誰もいない部屋で叫びまくるのもよしです。
ただ、注意しないといけないのは
不特定多数の人が見るSNSなどに
どす黒い感情をぶちまけてしまわないこと。
この場合、不愉快に感じた人が否定コメントを残してきたり
場合によっては炎上したりするので、そうすると責められすぎて
「自分が悪いんだ」と思って自己否定してしまうことにもなりかねません。
あくまでも、どす黒い感情を吐き出すことが目的なので
そのあとに返り討ちに遭うような吐き出し手段は最初から選ばないことです。
次に、「絶対に今より良くなってやる」と誓うことについて。
エステのCMで、失恋した女性が「絶対きれいになってやる」
と宣言するものが過去にありましたが、まさしくこのイメージです。
愚痴を吐き出して愚痴で終わってしまう人って
この部分が足りないんですよね。
だから、いつまで経っても同じことで
何度も何度も愚痴ってしまうわけです。
ただ、誓うにしても間違ってはいけないのが
「見返してやる」「ギャフンと言わせてやる」と思うこと。
なぜなら、
それは相手が決めることであってこちらには決定権がないので、
せっかく努力して良くなったとしても、
もし相手の態度が変わらなかったら
「なんのために頑張ったんだろう」となるからなんですよ。
そういった理由から誓うときは
相手どうこうじゃなくて、
「自分のために」誓ってください。
自己改革も自分磨きも、
相手のためじゃなくて
自分のためにやるものだということを
忘れてはいけません。
相手を許したからって、相手のことを好きになれるわけじゃない。
それから、
これは大事なことなので覚えておいていただきたいのですが、
自分に害をおよぼしてきた人たちに対する感謝は
今すぐできるものじゃなくて、ほとんどの場合が
後々になってからできるものなんですよ。
「まあ、いろいろあったけどさ、
あの人がいたからここまでこれたわけだし
これもまた感謝かもしれないね」というように。
つまり、自分に対して怒るようなことや
悲しいことをしてきた人がいたおかげで、
成長することができたと実感したときに
ようやく感謝の念が生まれるということです。
勘違いしないでいただきたいのは、
許せない相手に対して感謝の念が出てきたからといって
かならずしも相手のことを許せたり
好きになったりするわけではありません。
その相手への気持ちにある程度折り合いがついたというだけで
「それでも許せないし嫌い」というケースがほとんどなんです。
知人男性が、信じていた人に金銭を騙し取られてしまい
そのあともかなりひどい仕打ちをされたそうなんですが、
数年後に仕事で大成功をして
人間的にも急成長を遂げた彼はこう言ってました。
「いやあ、あんときさあ、
マジで殺してやりたいぐらい憎かったけど、
あいつの存在があったからこそ
ここまで頑張ることができたんだよなあ。
だから、そういった意味では本当に感謝してるよ。
まあ、今でも大っ嫌いなのは変わらないし、
会うことがあったらぶん殴ってやりたいけどね」
僕たちは聖人君子ではありません。
腹立つことがあったら怒るし、
つらいことがあったら悲しいし、
いろんな感情を感じるただの人間なんですよ。
それを、
「すべての物事に感謝しましょう」
「許せない人を許しましょう」なんて
崇高なことをいちいち言う人がいるから、
「そうしないといけない」と思ってしまうわけです。
「いやいや、俺らお釈迦さまちゃうし、
いきなりそんな言われても無理やし」と思うのが当たり前であって、
その崇高な理論を説いてる人が
同じ苦しみを味わったら同じこと言えんの?
という話しにもなってきます。
キレイ事だけで人は幸せになれないと僕は思ってますし
キレイ事が腑に落ちて実践できる人とそうじゃない人がいますからね。
そうじゃないからと言ってなにも落ち込む必要はなくて、
僕自身、世間一般でよく言われている
キレイ事がまったく腑に落ちていないから、
同じように腑に落ちていない人たちに向けて
こうやって記事を書いているわけです。
だから、ひどく現実的で、ときに残酷なんです。
そんなわけで、次にお話する
「幸せをつかんだ友達に対する祝福」に関しても
キレイ事は一切抜きになります。
友達のおめでたい出来事を素直に喜べないとき。
前述したように現状が良くないときほど
人は自分のことばかり考えてしまう生き物。
自分の人生が上手くいっていないときに
手放しで人の幸せを喜べる人って、
それこそ聖人君子と言えるでしょう。
僕自身も経験がありますが、
経営していたホストクラブが潰れたとき
お金もぜんぜんなかったので、
これからの人生についてどうしようか
途方にくれていたときのことです。
そのとき、仕事で大成功をおさめた友人や
稼いでいる友人の話しを聞いて、
「すげえな」と言うことはあっても
本心では羨ましくて妬ましくてしょうがなかったんですよ。
「ちくしょう、ええなあ・・・。
俺なんて今こんなに大変やのに・・・。
いい思いしてんなあ。くっそー」と思うと同時に、
「いやいや、友達相手にそんなこと考えたらあかん、喜んであげな」
とストッパーもかかっていたので、
素直に喜べなくてすごく複雑な気持ちでした。
実は、このストッパーもいらないんですよね。
このストッパーを外したとき
当時の僕はこういう考えが出ていたんです。
「気楽そうな商売でいいよな」
「なんでこいつがそんな大金を稼げるんだ」
「俺、大変やのにそんなこと嬉しそうに話すなよ!」
というように。
「おいおい藤本、なんて性格が悪いんだ」
と思った方もいらっしゃることでしょう。
だから言うたやん。
僕、聖人君子ちゃうし、ただの人間やでって。
とはいえ、当時の僕は虚勢を張って
自分を強く見せることばかり考えて生きてきたので、
今思うとこういったどす黒い感情が出てくるのは
当然なんだなと思いました。
察しのいい読者の方はお気づきかもしれませんが
「幸せをつかんだ友達に対する祝福」に関しても、
考え方は、自分に害をおよぼしてきた人間に対する
感謝の気持ちと同じなんです。
つまり、
「どす黒い感情を吐き出す→絶対に今より良くなってやると誓う」
という流れになります。
ただ、この間にもう一つプロセスが存在していて
それはなにかというと、
「相手がそうなった背景をちゃんと考える」ことなんですよ。
僕の場合だと、
「仕事で大成功をおさめた友人は、これまでにどんな努力をしてきたのか?」
「お金を稼いでいる友人は、一体どんなことをしてきたのか?」という感じです。
成功したり夢を叶えたりした友達って
僕たちが知らなかったり本人が言わなかったりするだけで、
その裏には涙ぐましい努力の数々が隠されています。
その人たちが、
「なぜ成功したのか?」「どうやって夢を叶えたのか?」を知ろうとしないと
今のその人しか見えていないので、嫉妬の気持ちが出てくるというわけです。
もちろん、どう考えても
「こんなのただのまぐれじゃん」みたいなケースはありますが、
その場合の幸せは本人が調子に乗ったまま過ごしていると
かならず短命に終わるので、いちいち気にする必要はありません。
努力に基づいた成功や幸せには
説得力、覚悟、行動力、決断力のすべてが兼ね備わっています。
その背景をしっかりと想像するか
本人から聞き出すことができれば、
どす黒い感情を抱いていた自分が
だんだんと恥ずかしくなってきて、そのあとは、
「絶対に今より良くなってやると誓う」か
「自分なんてもうダメだと諦める」かの二択なんですよね。
ここで前者を選んで行動に移せる人が、いずれ
「幸せをつかんだ友達に対する心からの祝福」ができる人になります。
後者を選んだ人は、考え方を改めないかぎり
卑屈な人生を送ることになってしまいます。
でも、どす黒い感情を抱いた自分が恥ずかしくなるんだったら、
それは自己否定につながることだから
吐き出すプロセスはいらないんじゃないの?
そう思った方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、その恥ずかしさは
「こんなこと思ってごめん!でも自分も負けてられないから、今より良くなってやる!」と
「誓うバネ」にするのであって、自分を責める材料にしてはいけないんですよ。
そこで、
「友達にこんなどす黒いことを考えてしまった自分はダメなんだ」
と責め続けてしまう人が、今後の人生に諦めを抱くようになってしまうわけです。
祝福できないからって、どす黒い感情をそのまま友達にぶつけるのはお門違い。
それから言うまでもなく、どす黒い感情は
間違っても友人に向けてはいけません。
でも、幸せになった友達を祝福してあげたいし
どす黒い感情も向けることはいけない。
じゃあどうすればいいのか。
それは、素直に自分の現状を伝え、祝福することなんです。
たとえば、仕事で成功をおさめた友人に対しては、こういう感じになります。
「実は今、ぜんぜん仕事が上手くいってなくてさ。
しかもお金も本当にきつくて、すごく精神的に参ってるんだ。
だから、とても人の成功を素直に喜べるような状態ではなくて、本当にごめん。
でも、友達としてちゃんと言わせて。
おめでとう。すごく頑張ったんだと思う。私も頑張るよ。」
このように自分の現状を伝えて
「友達なのにちゃんと喜んでくれないなんてひどいよね」なんて言ってくる人は、
デリカシーもないし人の気持ちも考えられないし、そもそも友達じゃありません。
本当の友達なら、
「そっか、そんな状態だって知らなくてごめん」
となるのではないでしょうか。
とあるクライアントさんが
先に結婚が決まった女友達に対して、
「ええ!マジで!いいなあ!めっちゃ羨ましい!
私も婚活頑張ってたのに!先越されて悔しいから腹立つ!
でもほんとおめでとう!」と伝えたら、
「素直すぎて潔すぎて笑ったし、あんたが友達で良かった」
と言われたそうで、本当の友達だったら
このようにわかってくれるんですよね。
今後も相手と友達関係を続けられるかどうかは
こういった部分で推し量れるといってもいいでしょう。
友達が幸せそうなときに
現状が上手くいっていないことを伝えて
祝福を強制してくるような人や、
こちらの気持ちを考えずに
幸せ自慢をしてくるような人は、
友達思いとは言えないですからね。
現状が上手くいっていないことを言えないのは
その相手に見栄を張りたいか、
相手のことを信用していないかのどちらかなんですよ。
そう考えると、もし言えない相手なんだとしたら
言えない事情がそこにあるということですし、
「言いたくない」という気持ちが勝っていることになりますから、
その状態で上手くいっていない現状を言ってしまうと
やりたくないことをすることになってしまいます。
その場合は、
なにがなんでもすべての事情を伝えないといけないということはないので
「今ちょっとすごく大変で精神的に参ってるから、
素直に喜べない状態でごめん」という感じで
端折って言っておくといいのではないでしょうか。
あくまでも、「わかってもらうために言う」という前提で考えてください。
誰かに対しての祝福は素直に喜べないのであれば
喜べない自分を責めるのではなくて、
「喜べないと思っている自分」が
ちゃんといることを認めるのも、また自己肯定。
「そう思っている」のに、「そんなこと思ったらいけない」と思うから
苦しいし、自分を否定することになるんですよ。
素直に祝福できないことに関しては
あなたが自分らしく生きることができるようになっていれば、
自然にできるようになります。
だから、
「絶対に今より良くなってやる」と誓って
行動に移すことが大切。
「今より良くなる=もっと自分らしく生きる」ということです。
自分らしく生きることができていれば
たとえ自分が持っていないものを誰かが手に入れたとしても、
素直に喜べないということはないし、妬み嫉みも生まれません。
なぜなら自分らしく生きていると、
自分が本当にほしいものを
その都度手に入れているからです。
本当にほしいものが自分でわかっていないと
「それを所持していていいなと思われたい」という承認欲求から、
金銭、異性の愛情、成果、地位や名声、
刺激や快楽、権力などを求めてしまうんですよね。
そうしているうちは、幸せになれません。
喜べないのには、喜べないだけの事情がある。
最後に、「自分に害をおよぼしてきた人」と
「素直に祝福できないこと」に対しての
折り合いの付け方をまとめておきます。
「自分に害をおよぼしてきた人への折り合いのつけ方」
その相手に対するどす黒い感情を感じ取る
↓
絶対に今より良くなってやると誓う
「素直に祝福できないことに対しての折り合いのつけ方」
その相手に対するどす黒い感情を感じ取る
↓
その相手がしてきた努力はなんなのかを考える
↓
絶対に今より良くなってやると誓う
↓
現状を伝えた上で人として祝福の言葉を送る
それから、もし自分が良くなったときに
祝福できないことが起こったとしても、
そこには素直に喜べない理由がちゃんと存在します。
なので、まずはその理由を考えて
喜べないと思う自分の気持ちを大切にしてあげましょう。
もう一度言いますが、
感謝と祝福って沸き起こるものであって
強制したりされたりしてするものじゃないことを、忘れないでください。
そして、沸き起こらない自分が悪いのではなくて
沸き起こらない事情や理由がちゃんとあることも、忘れないでください。
心からの祝福は、
あなたが自分らしく生きれば生きるほど
自然とできるようになります。
そんなあなたが幸せに思う体験をした場合、
嬉しくなって誰かに話してその人が複雑そうな顔をしたときは、
その人が素直に喜べない事情がなにかを考えてあげられるといいですね。
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