同じ失敗を何度も繰り返してしまう人へ。それは「神様の再テスト」に遭遇してるんやで?

同じ失敗を繰り返すのには理由がある。

withONLINEで46回目の連載がアップされました。

 

 

今回のテーマは、

「失敗をなかったことにしない」です。

 

「前にあんなことが起こったから、次もまた同じことが起こるかもしれない」

「前に失敗したから、次もまた失敗するかもしれない」

 

なんてことを思っていたら、本当にそうなることってあるじゃないですか。

 

一度した失敗が、姿形を変えてもう一度目の前に現れる現象を僕は「神様の再テスト」と呼んでいるのですが、こうなるのにはちゃんとした理由があるんですよ。

 

それは、学習しないから。

 

失敗を通じて何も学び取っていない人は、何度もこの「神様の再テスト」に引っかかってしまいます。

 

どれだけ自己肯定感が高くなろうが、どれだけ自分に自信をつけようが、ときに起こってほしくない出来事は身に降りかかります。

 

天災など、青天の霹靂ともいえる出来事であれば避けることはできませんが、同じ失敗を何度も何度も繰り返してしまう人って厳しいようだけども、学習能力が足りません。

 

仕事だと、同じミスを何度も繰り返してしまい、「どうせ俺はダメなヤツだ・・・」と嘆く人。

 

恋愛だと、何度も都合のいい関係になってしまったり、不倫を繰り返したりして、「もっと愛されたい・・・」と嘆く人。

 

はっきり言ってしまって申し訳ないけれど、

アホなんですか?と言いたい。

 

身近な例でたとえると、向き不向きはあるかもしれないけれど、ゲームがなかなか上達しない人も失敗から学習していないことが多いです。

 

モンハンをやったことがある人なら分かっていただけると思うのですが、何度も同じモンスターでやられてしまう人って、経験から学習してないんですね。

 

「ずっと遊んでるゲームなのに、一向に上手くならない」という人は、大体が失敗をなかったことにしています。

 

もちろん、遊びだったら嫌になってやめてしまえばいいだけの話ですが、学習能力がない人って遊びからも学ばないので、結局現実世界においても「神様の再テスト」を受けることが多いです。

 

神様の再テストって、学校のテストと同じなんやで。

何度も何度も神様の再テストを受けてしまう人って、考えてみれば当たり前の話なんです。

 

なぜなら、学校のテストで悪い点を取って再テストを言い渡されたとき、なんの準備もしてなかったら、次も点数が悪いのは当たり前じゃないですか。

 

勉強してなかったら点数が良くなることはないし、苦手科目なんだったら、及第点を取るために分かる範囲の部分を勉強しなおしたり、思い切ってその科目を切り捨てたりしますよね。

 

神様の再テストって、それと同じなんです。

 

「前にあんなことが起こったから、次もまた同じことが起こるかもしれない」「前に失敗したから、次もまた失敗するかもしれない」と嘆くだけで、また同じ失敗を繰り返してしまうのは、再テストに向けて何の準備もしてないから。

 

そりゃあ失敗すんの当たり前やで?

という話です。

 

同じことを繰り返して違う結果を望むこと。それを「狂気」という。

見出しに使われたこの言葉は、アインシュタイン博士の名言です。

 

神様の再テストに何度も引っかかってしまう人って、同じ方法で何度も何度もトライしてしまうんですよ。

 

「上手くいかないのは上手くいかないなりの理由がある」し、その理由を分析できない人は、方法を変えずに再テストに挑みます。

 



では、なぜ人は同じ方法で同じ過ちを繰り返してしまうのか?

 

それには3つの理由があります。

 

同じ過ちを繰り返す理由1・違う方法を試して、どんな結果になるか不安だから。

今までと同じ方法だったら、馴染みもあるしこれまでの自分を変えずに済みますよね。

 

しかしその方法を変えると、どんな未来になるか分からないから、多くの人は不安と恐怖を感じるんですよ。

 

今までと同じ方法で試して上手くいかないことのほうが多かったのに、なぜ人はそれでもやり方を変えないのか?

 

それは、上手くいかなかったときに、「ほら、やっぱりダメだった」と自分に言い訳できるからなんです。

 

これまでと違う方法を試して上手くいかないと、この人は「せっかく勇気を出して違う方法を試したのに」「それでも上手くいかなかった」というWショックを受けてしまうんですね。

 

同じ方法を試して失敗したらこれまで受けた同じショックで済むし、自分に言い訳ができるから、方法を変えないというわけです。

 

人は、未来が良い結果になっても悪い結果になっても、経験していないことに対しては、不安や恐怖を感じるという性質があります。

 

【参照記事】

 

同じ過ちを繰り返す理由2・同じ方法を試して、たまに上手くいってたから。

とある研究で、猿を使った実験があるんですよ。

 

この実験は2匹の猿を別々の箱に入れて、片方の箱はボタンを押せばかならず餌が出てくる仕様になっています。

 

もう片方の箱は、ボタンを押すとたまに餌が出てくる仕様になっています。

 

すると、前者の箱に入れられた猿は、ボタンを押すと餌が出てくることが分かっているので、お腹がすいたときにだけボタンを押すという行為に出るんです。

 

では、後者の箱に入れられた猿はどうするのか?

 

実験結果は、「餌が出てくるまでボタンを押し続ける」んですね。

 

この猿は、たまに餌が出てきていたから、餌が出てくるボタンが他にないか探そうとしないんです。

 

これは猿だけではなく、神様の再テストを何度も受けつづける人も、同じことをやってしまっています。

 

失敗のほうが多いのに、たまに成功することがあるから、今までのやり方に固執して方法を変えないというわけです。

 

同じ過ちを繰り返す理由3・最初から正解を選ぼうとしているから。

人は上手くいかせたいことがあると、最初から「正解」を選ぼうとします。

 

しかし、ほとんどの物事は、やってみないと上手くいくかどうかなんて分からないですよね。

 

でも、正解を選ぼうとする人ほど、選んでいるのが正解じゃなくて「無難な選択」なんです。

 

たとえば、やってみたい髪型があるとします。

 

でも、その髪型はこれまでやったことがないものだし、似合うかどうかも分からない。

 

そこでこの人は正解を選ぼうとして、ちょっとだけやってみたい髪型に寄せて前髪を切る。

 

その結果、今までしていた髪型とほとんど変化がなく、周りの人にも気づいてもらえないんですね。

 

正解を選んで行動している人のほとんどが、これと同じことをやっています。

 

思いきらないといけない場面で無難な選択をしても、無難な結果かそれ以下にしかならないんですよね。

 

以上が、「同じ方法で同じ過ちを繰り返してしまう3つの理由」になります。

 

物事が上手くいかなくなるまでに起こる3つのサイン。

実は、物事が上手くいかなくなるまでに起こっている3つのサインがありまして、それが次のようになります。

 

その1・その道はもう通るなというサイン

たとえば、これまでの恋愛で何度も何度も、初対面の男性に身体を許してしまっていた女性。

 

この女性はまた、出会ってすぐの男性とその日のうちに関係を持ってしまいました。

 

1ヶ月後に告白したら、「友達にしか思えない」と言われて振られ、3ヶ月後に「彼女ができた」と言われ、半年後に「もう連絡してこないでほしい」と言われて拒絶されます。

 

そして現在、「○○くんが振り向いてくれない・・・」とこの女性は嘆いているんですね。

 

「いやいや、もうとっくに無理なんやで?」という話しなんですが、当の本人はそれに気づいていないんですよ。

 

このサインの場合、完全に上手くいかなくなるまでに、「やめておけフラグ」が立ち続けるんです。

 

そしてこのフラグはだんだんと強烈になってきて、それはもう神様が「お前、いつになったら気づくねん!」と言わんばかりに、「それ以上はもうやめておけ」という出来事が、次から次へと起こります。

 

その2・方法が間違っているというサイン

これは主に、技術をともなうものに関してです。

 

僕たちが学生時代、テスト勉強をめちゃめちゃ頑張るのに、いつも点数が悪い子っていたじゃないですか。

 

こういう子って、「要領が悪い」とよく言われていましたが、これは「勉強の方法が間違っている」ということなんです。

 

だから、点数が取れないんですね。

 

他にも、楽器演奏者やアスリートなど、これまでどおりの方法でトレーニングして頭打ちになって伸び悩んでしまい、思い切ってトレーニング方法やフォームを変えたら、一気に開花したというケースもこれに該当します。

 

その3・そんなことしてないで、自分のことちゃんとしなさいというサイン

これは、「自分のことを大切にしていないとき」や「やらなければいけないことを後回しにしているとき」に起こるサインです。

 

たとえばこういう感じ。

 

・生活が乱れている

・メンタルが不安定な状態が続いている

・逃げていたものと向かい合わざるを得なくなってきた

・資格試験の勉強中

・転職活動中

・ストイックにならないと打破できない状況のとき

 

などなど。

 

一例を出すと、出会いは沢山あるはずなのに、「何しても恋愛が上手くいかない」と嘆いてる女性は、意外とこのサインに引っかかっている場合が多いです。

 

「そんなことしてないで、自分のことちゃんとしなさいというサイン」は、先に片付けなきゃいけない問題や課題を処理してからじゃないと、物事が進まないんですね。

 

1のサインは、「やめておけフラグ」が途中で立つから比較的気づきやすいですが、この3つ目のサインは目に見えない上にフラグも立たないので、気がつきにくいです。

 


 

以上、3つのサインに注意をはらっていれば神様の再テストはクリアしやすいのですが、言うまでもなく場合によっては「その道を最初から選択しない」ことも、クリアすることに含まれます。

 

成功者の人がよく言う、「成功するまでやり続ける」という哲学を、そのまんま真に受けている人が結構いるのですが、彼らは成功するまで、その都度方法を変えて挑んだから成功したんですよ。

 

何度も同じ方法でチャレンジしたわけじゃありません。

 

では、方法を変えて何度も何度も挑戦したら成功するのかというと、世の中そんなに甘くないですよね。

 

人には「適材適所」がちゃんとあるので、それを無視して成功するまでやり続けても、良い結果になるどころか、むしろ「取り返しのつかない」ところまで来ていることだって、よくあるわけです。

 

寝食を忘れるぐらい頑張って取り組んだことが、かならず報われるかというとそうじゃないので、この残酷な現実を知らない人は、引き際を知ることも、神様の再テストをクリアする上で必要になります。

 

【適材適所論】

 

とはいえ、やりきることは大切。

引き際を自分で判別する上で、なにが重要になってくるのかというと、「やりきる」ことなんです。

 

「やりきる」とは、思いつく限りのあらゆる方法をすべて試して、限界までやり尽くすということ。

 

やりきっていない状態で引いてしまうと、後悔や未練が残るのはそのためなんですね。

 

そういえば去年、小学校のときのクラスメイトと、大人になってから再会したんですよ。

 

彼は小中高とずっと水泳をやっていて、過去に何度も大会で優勝していたんです。

 

そんな彼に「今水泳やってないの?」と聞いたら、「もうやってない」と言われました。

 

その理由を聞いたら、こんな答えが返ってきたんです。

 

だってな、もうええわっていうぐらい泳いだもん。

それに何度もてっぺん取ったりしてるからな。

でもな。昔にやりきってなかった人って、まだ水泳やってるねん。

それは全然悪いことじゃないねんけど、やりきったから俺はもうええ。

 

この言葉を聞いて、「ああ、俺が一度辞めたギターをもっかい弾いてるのって、やりきったようでやりきってなかったからなんだな」と思いました。

 

過去にやりきっていなかったことで、現在したいと思うものがあれば、それは自分を取り戻す上で非常に大切なことなのでしたほうがいいのですが、やりきったと言えるぐらいまで突き詰めないと、悔いが残るのは事実です。

 

これは恋愛にも共通することで、執着恋愛に足を踏み入れてしまい、何年もズルズルと関係を続けている人たちがその中から抜け出せずにいるのって、思っていることや聞きたいことを相手に言えなかったり聞けなかったりしているので、「やりきってない状態」がずっと続いているせいもあるんですよ。

 

その状態で相手から拒絶されたとき、はたから見ればどう考えても「それ以上は無理」なのにそれでも諦められないのって、相手に対してやりきってないからなんです。

 

だから執着がなかなか消えないんですね。

 

ほかにも、執着恋愛に足を踏み入れて、なんとか現状を良くしたいと嘆いている女性に対して、「そこまで思ってるんだったら、行くとこまで行ってみれば?」とアドバイスする友達がいますが、これは僕も間違ってないと思います。

 

でも、この言葉の意味って実は残酷なんですよ。

 

なぜなら、

 

傷つきまくってどん底まで行って、頭打たないと分かんないでしょ?

 

という意味だから。

 

傷つきまくってどん底を経験するという行為は、自分の限界を超えてまで行くということだから、実は「やりきる」に該当します。

 

つまり、「行くところまで行かないのと分からない」のと、「やりきった先にしか見えないものがある」って共通してるんですよね。

 

そう考えると、ブラック企業に勤めていて限界超えるまで働き、「もう無理だ!」と退職した人が、なんの後悔もなくむしろ清々しい毎日を送っているのも、そう思えるまで働きまくったからという背景があるからではないでしょうか。

 

マジで洒落にならないぐらいタイピングしたあのとき。

ちなみに、僕がまだ無料と有料のメールカウンセリングをしていた頃のお話です。

 

メールカウンセリングをしていた期間中は、ネタでもなんでもなく、何百万文字という字数をタイピングしたと自負しております。

 

その結果、腱鞘炎寸前までいきました。

 

なぜなら、一通一通のいただいたメールに対して、出し惜しみせず全力で答えていたから。

 

たとえば、「よーし、今日はちょっくら飲みに行くかー!」と街に繰り出すじゃないですか。

 

朝方にほろ酔いだったり泥酔したりして帰ってきますよね。

 

メールボックスを開いてみると、何十通ものメールが届いていて、次の日のことを考えたら一気に酔いがさめたとか、数え切れないぐらいあります。

 

だから、他の同業者さんたちに対しても、「おい、お前ら俺と同じことできんのか?」って普通に言えますし、ここまでやった人を僕は聞いたことがありません。

 

そして、当時メールカウンセリングにお申し込みいただいたクライアントさんには本当に感謝しております。

 

これは紛れもない本心です。

 

今からお話することは、メールカウンセリングにお申し込みいただいた方々に対し、失礼を承知の上で「もう一度メールカウンセリングをやってみたいか?」と聞かれると、僕は迷わずこう答えます。

 

二度とやりたくない。

 

それぐらいやりきったということですが、実は当時のメールカウンセリングの収入は、僕の年収の半分を担っていたんです。

 

だから、辞めるときにかなりの決断をする必要がありましたが、あのままメールカウンセリングを行っていたら、今の僕はなかったと思います。

 

金額を数倍にすると仮定しても、やっぱり二度とやりたくありません。

 

そう考えたとき、同業者さんや、スピリチュアル系キラキラ起業系の人たちが、せっかくの売れ筋サービスを廃止して、しばらくしてから「大好評につき、復活しました♡」と宣伝するのって、僕からしたらどう考えてもやりきってないんですよ。

 

なんでそう言えるのかと言うと、「アンタら、収入減ったから再開したんだろ?」って疑念がどこまでいっても拭えないんですよね。

 

ていうか、ほとんどの場合がそうだから。

 

どうせ一度目に辞めたときに、「面倒くさくなってきたー」「しんどくなってきたー」って放り出したんだろ?と、僕は思っています。

 

でも、やりきらずに判別する方法はないのか?

実はありますね。

 

それはどうやって判別するかというと、下記のような感情が出てきたときです。

 

「なんか違うな」

「これじゃないな」

「しっくりこないな」

 

「こんなざっくりとでいいの!?」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、自分らしく生きている人ほど、この感覚を大切にしています。

 

下記記事でもお話した通りです。

 

 

それに、今現在そう思ったということは、何かしらの違和感がそこにあるということだから。

 

だって、違うと思った理由、これじゃないと思った理由、しっくりこないという理由が、明確になっていないだけで、掘り下げてみたらかならず出てくるからなんですよ。

 



 

なので、違和感を覚えた瞬間から、その理由を考えて納得できるものであったら、そこで方法を変えたり思い切ってやめたりするんですよね。

 

しかし、「人は自分が正しいと思ったものが間違っているかもしれないと疑わない生き物」

 

これに該当する人は、過去に感じた感情や感覚を優先しようとします。

 

たとえば恋愛だと、ずっと好きだと思っていた相手に対して、「なんか違うな?」という違和感が出てきたのに、「いや、でも前まで好きだったから気のせいだ!」とか、「これだけずっと思っていたから、きっと好きなはず!」と思ってしまう女性。

 

だから執着してしまうねんで?

 

違うと思ったら「なんで違うと思うんだろう?」と考える。

 

これじゃないと思ったら「なんでこれじゃないと思うんだろう?」と考える。

 

しっくりこないと思ったら「なんでしっくりこないんだろう?」と考える。

 

恋愛にかぎらずなんでもそうですが、感じた違和感はすでに自分が「そう思っているという証拠」があるので、ちゃんと「なんで?」と疑問を投げかけてください。

 

それから、よく混合されがちなので、次のことは忘れないでください。

 

「面倒くせー」「しんどいー」「やりたくなーい」という感情と、

「なんか違うな」「これじゃないな」「しっくりこないな」という感情は、

全然違います。

 

これらの感情を混合するから、人は楽な道に進むことをやめないというわけです。

 

「未来の」自分にとって必要な、「面倒くさい」「しんどい」「やらないといけない」って、逃げたらダメなんですよ。

 

宮崎駿監督を見習え。

 

 

じゃあ、失敗から学習するのってどうすればいいのか?

以上を踏まえた上で、失敗から学習する方法を最後にお伝えさせていただきます。

 

失敗から学習する方法

1・「何がまずかったのか?」という根本的原因を考える

2・見つかった課題を次に活かす→それでクリアしたらそのまま進める

3・それでもダメだったら、1に戻り、2を試す→それでクリアしたらそのまま進める

4・1~2を繰り返し、何度か取りくんでみたけど、それでも上手くいかないとき、「これは自分には向いてないんじゃないか」「合わないんじゃないか」と考える

5・その上で、切り捨てるか適切な距離をもって接するか選ぶ

 

月並みな言葉ではありますが、「失敗はただの経験」であり、「その経験から何を学ぶか?」が重要なんですよ。

 

でも、使い古された言葉でありながら腑に落ちてない人が多いから、ずっと語り継がれるというわけです。

 

さらに多くの人が知らないのが、実は成功体験よりも失敗体験のほうが大切だったりします。

 

なぜなら、成功体験しかしてない人って、たった一つの失敗で心が折れてしまうことも多いし、人間の心って筋肉と同じで、傷つかないと強くならないですからね。

 

なので、「恥をかく」という経験も実は大切なんです。

 

経験からしっかりと学び取り、それを次に活かす。

 

この繰り返しで、人はどんどん成長するものだということをお忘れなく。

 

 

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