【愛って】誰かを愛するのって、こういうことなんだよ論。【なんなの?】
with onlineで150回目のコラムがアップされました。
今回は、「夫への恋愛感情を呼び起こすためにできる“4つの努力”」がテーマです。
旦那のことが
好きじゃないから、
もう愛せない。
という人がいます。
コラムの中でも書き記していますが、愛することって恋愛感情がなくてもできるんですよね。
もちろん、大嫌いな人間を愛するというような、聖人君子的行いをすることは難しいです。
しかし、「完全に嫌いになったわけじゃないし、まだ情はある」という状態なら、今からでもその人を愛し直すことは可能です。
では、この愛という無形の存在を言葉で説明するなら、一体どのようなものになるのでしょうか?
そんなわけで今回は、「愛」をテーマに徹底解説いたします。
目次
愛するということ。
名著「愛するということ」の著者であるエーリッヒ・フロムは、本文で次のように書き記しています。
それは決意であり、決断であり、約束である。
もし愛が単なる感情にすぎないとしたら、「あなたを永遠に愛します」という約束はなんの根拠もないことになる。
そして彼は、次のようにも書き記しています。
技術だとしたら、知識と努力が必要だ。
つまり、愛は能動的なものであり、恋愛感情は受動的なものということです。
分かりやすく言うと、愛は自ら働きかけることで生まれるもの。
そして恋愛感情は、本能として自然に起こるものだから受け身になるという感じです。
よく、「愛は真心で恋は下心」って言われてるじゃないですか。
この下心って性欲のことだけを指すのではなく、承認欲求や自己保身も含まれます。
どういうことかと言うと、自分を好いてもらうために相手に何かをしたり、嫌われないように自分を抑え込んだりするのも、下心に含まれるということです。
2つ目のフロムの言葉を要約すると、「誰かを愛するには知識と努力が必要」ということになります。
要するに、人を愛するってどういうことなのかをちゃんと知っておかないと、努力のしようがないんですよね。
たとえば、
君のことを愛してるよ!
世界中の誰よりも!
と言いながら、その女性が迷惑に思うことばかりする男性がいるとします。
彼女が寝ている時間帯に、「君の声が聞きたかったから」といきなり電話をかけてきたり、全然仕事が終わってないのに、「君に会いたかったから」と会社の前で待ち伏せをしたり。
この女性は言うんですよ。
と。
でも彼はこう言うのです。
どうして?
こんなに君のことを愛してるのに。
と。
言うまでもなく、これって彼女のことを愛してないじゃないですか。
なぜかと言うと、この男性が人を愛するのがどういうことなのかを知らないからです。
だから独りよがりな愛になってしまっているんですね。
愛することは相手に配慮すること。
誰かを愛するためには、配慮することが必要です。
前述した独りよがりな男性が彼女に配慮をするなら、寝ているであろう時間帯に電話はかけないし、会社で待ち伏せすることもありません。
いくら声が聞きたくても会いたくても、相手が迷惑に思うことはしない。
つまり、自分の機嫌を相手に取ってもらおうとしないことも、愛するということなんです。
それから、「尽くす」という行為に関しても、そこに配慮がなければ、相手にとってはただのありがた迷惑になってしまいます。
たとえば、お祝い返しに困るぐらいの高価な品物をプレゼントされたり、部屋が散らかっているからといきなり大掃除をされたり。
尽くすときの基本は、自分がそうしたいからそうするという前提で物事を行うことです。
【参考記事・女は尽くすべきor尽くす女は捨てられる?】
しかし、相手が求めてないことや頼んでないことに手を付けてしまうと、場合によっては配慮を欠いた行いになってしまいます。
韓国ドラマ「キム秘書はいったい、なぜ?」で、「君に配慮してるだろ!」と言うヨンジュンに対し、ミソは次のように言うんですよ。
私が望んでいないことは
配慮とは言えません。
要するに、配慮とは相手が望んでいることを行うこと。
では、相手が望んでいることをすべて行うことができれば、それは愛していると言えるのでしょうか?
残念ながら、それでは愛しているとは言えません。
なぜなら、愛することは見守ることも込みだからです。
愛することは見守ること。
そういえば驚いたことがあって、最近の小学校では体育の授業でまず「転び方」を子どもたちに教えるんだとか。
なぜそんなことを教えるのかと言うと、ほとんどの子どもが転び方を知らないから、全力で頭から転ぼうとするそうなんですよ。
このブログを読んでいるほとんどの人が、体育で転び方なんて教わらなかったと思います。
それはなぜかと言うと、ほとんどの子どもが盛大に転んで痛い目を見たことがすでにあったから、教わる必要がないんですよね。
その経験を経ているから、転ぶときに無意識に頭を守ろうとするわけです。
しかし今の子どもは、転ぶ前に母親が手を差し伸べたり、転ぶような遊びを事前に禁止していたりするので、転び方を知らない子が昔に比べてかなり増えたそうなんですね。
言葉を選ばずに言うなら、親の甘やかしが原因で、小学校の体育の授業には転び方を教えることになったというわけです。
では、親がずっと子どもを甘やかし続けると、その子はどんな大人になるでしょうか?
正解は、一人で何もできない大人になります。
親がなんでもかんでも代わりにやる。
親がなんでもかんでも代わりに決める。
親がなんでもかんでも買い与える。
このような環境で育つと、人は自立心も自主性も忍耐力も奪われた大人になってしまうんですよ。
その結果、年齢だけが大人になった超わがまま人間が完成されるというわけです。
このとき親は、「子どもを愛してるからそうした」と言います。
しかしこれは、愛することの意味を知らなかった親の言い訳にしかならないんですよね。
愛することの意味を分かっていて、本当に子どものことを愛している親は、我が子のためにならないことはやりません。
その子が大人になったときに困らないよう、年齢に合わせて自分でできることは自分でさせる。
その子の個性や自主性を尊重するために、自分の頭で考えさせて自分で決めさせる。
その子が自制心を持った大人になるように、家族内でのルールや規律を守らせて、必要じゃないものはイベント時以外では簡単に買い与えない。
これが、子どもを愛している親の行動です。
でも、口では子どもを愛していると言うけれど、愛が伴っていない親は、これらと真逆のことをするんですよ。
これは親子関係に限らず、友達同士、恋人同士、夫婦間でも同じことです。
どれだけ相手が望んでいることであっても、その相手のためにならないことはあえて手を貸さずに見守る。
これもまた愛なんです。
愛するとはときに突き放すこと。
たとえばあなたの大切な人が、
今借金取りに追われてるんだ!
金返さないと酷い目に遭わされる!
次はきっとマグロ漁船に乗せられる!
お願いだから金貸してくれ!
と泣きついてきたとします。
でもこの人は、再三に渡ってお金を無心してきて、ちゃんと返してくれたことがほとんどない。
しかも貸したお金はすべてギャンブルに使われているとします。
ここで、本当にこの人のことを愛している人は、相手が地獄を経験すると分かっていてもお金を貸しません。
貸さないことで、酷い言葉を投げつけられて嫌われたのだとしても、貸しません。
なぜ頑なにお金を貸さないのかと言うと、何も相手のためにならないからです。
お金を貸しても、それは相手を甘やかすことになるだけなんですよね。
愛することは指摘すること。
基本的にいい男と呼ばれる男性は、例外なくこれまでに関わった女性たちの手が加わっています。
母親、姉妹、元カノたちがその男性の悪い癖やデリカシーのない言動を指摘してきたからこそ、どんどんいい男に変わっていったということです。
【パートナーをいい男に育てる女性が必ずやっている!「うながしテクニック」を伝授!】
彼らは、関わった女性に対し許せないことをしてブチ切れられた経験がある男性も多いですから、いい男とは言わば、様々な女性たちの手が加わった作品でもあるわけです。
そして、彼女たちはちゃんとその男性のことを愛していたから、言いづらいことでも言ったのだと推測します。
しかし、口では相手のことが好きだと言いながら、その相手の至らないところや未熟に思う部分を指摘できない女性は、愛しているとは言えません。
よく、
と言う女性がいますが、彼女たちの中で衝突を覚悟の上で相手にぶつかった人は、きっと少ないと思います。
相手にちゃんとぶつかれる女性だと、
アンタさあ、
都合が悪いことにはいつも
逃げようとするよね。
私の人生に関係ないから
好きにしたらいいと思うけど、
逃げて困るのは自分だからね。
このようにはっきり伝えたり、逃げ癖を発動されたときに、
おい!逃げんなよ!
この臆病者!
前から言ってるけどアンタ、
そういうところだぞ!
とブチ切れたりします。
つまり、相手にぶつかれる女性は愛があるからそうできるんですよ。
もちろん、相手が逃げたことで自分にも被害が及ぶから、ぶつかっている部分はあります。
しかし愛がなければ、嫌われたり揉めたりしたくないから言えないし、我慢できなくなれば別れればいいやという発想になります。
逃げ癖だけではなく、相手の性質で嫌な部分があるなら、それを嘆くだけではどうにもなりません。
そして相手の嫌な部分だけではなく、こちらに被害は及ばないけど相手のためにならないことも指摘できてこそ、愛している状態だと言えるでしょう。
愛するとは自分をも愛するということ。
今さら言うまでもありませんが、自分のことを愛していない人に、誰かのことを愛することはできません。
なぜなら、自分にできてないことを、人にできないからなんです。
自分を愛するとは、自分を大切にするということ。
自分を大切にすることとは、つまりこういうことです。
「自分はどう思うか?」という感情を大切にし、大事な人をもてなすかのように自分自身をもてなすこと。
さらに、自分の身体や時間をも大切にすることで、その人は自分を大切にしていると言えます。
【自分を大切にする方法完全版SPECIAL!】
自分を大切にしてない人は、自分がどう思うかよりも「どう思われるか?」を気にします。
そして、生活することに手を抜き、自分の身体のことや日々の時間に無頓着です。
これでは誰かのことを大切にするなんてできないですよね。
こういう人は、誰かのことを愛するより先に、まず自分のことを愛するのが先です。
なぜかと言うと、愛は余裕があってこそ生まれるものでもあるからなんですよ。
たとえばここに、お金も食糧も潤いまくっている人と、その日生きるためのお金も食糧もカツカツな人がいるとします。
どちらの人が、お金と食糧を誰かに分け与えることができるでしょうか?
答えは言わずもがなですが、ここで言うお金と食糧は、愛に置き換えても同じことが言えるのです。
愛がある人って、本当に優しいからそうできるわけじゃないですか。
誰かに対して本当に優しくしたいなら、心に余裕がないとできないんですよね。
そういった意味でも、「誰かを愛するにはまず自分から」なんです。
以上になります。
-
- 愛する前に愛を学ぶこと
-
- 配慮して尽くすこと
-
- その人を尊重すること
-
- ときには見守ること
-
- そしてときには突き放すこと
-
- 相手のためにならないことは指摘すること
-
- 自分をも愛すること
愛することの意味を知らず「愛してるよ」と言う人がいますが、そういう人たちが口にする愛が、いかに陳腐なものか分かっていただけたのではないでしょうか。
それと同時に、愛することの意味を分かってしまうと、「愛してる」という言葉をそんな簡単に使えないことも。
とはいえ、「愛してる」という言葉は、「これからあなたのことをちゃんと愛します」という決断と約束でもあります。
誰かのことを心から本当に好きになって、その人を愛し抜く覚悟ができたとき、「愛してる」と伝えてみてはいかがでしょうか。
【withonlineのコラムはこちらから】
☆喜びの声多数!あなたの人生と恋愛に革命が起きる!リアライフマネジメントはこちらから☆
☆リアライフマネジメントQ&Aはコチラ☆
☆藤本シゲユキ・著書一覧☆
コメントを投稿するにはログインしてください。