難しすぎる本当の理解と共感。

withonlineで56回目の連載がアップされました。

 

今回のテーマは「理解と共感」について。

 

 

下記記事でもお話したことではありますが、本当の理解と共感って実はものすごく難しいことなんです。

 

 

実際に、対人関係で理解と共感を実践されたクライアントさんが何人かいらっしゃいますが、皆さん口をそろえてこう言います。

 

「めちゃめちゃ疲れた」と。

 

「相手のことだけを見る」って最初はそれぐらいエネルギーを使うことなので、しんどいのは当たり前なんです。

 

慣れてきたなと思っていても気を抜くと主観と感情が入るので、その時点で相手のことを見ていないんですね。

 

だからめちゃめちゃ難しいんです。

 

とくに、好きな人や苦手に思う人、嫌いな人に対してだと、主観と感情を挟むなというほうが無理な話しだったりしますが、じゃあ本当の理解と共感をできている人が少なからずいるのはなんで?と不思議に思いますよね。

 

では、なぜ彼ら彼女らは本当の理解と共感ができるのか?

 

考えられるその理由としては、次のようになります。

 

1・自分で自分のことを満たしている

2・十分自分のために生きてきた

3・数え切れないぐらい多くの人たちと関わってきた

4・その中で悲しみ傷つき、数多の経験を乗り越えてきた

5・愛することを学んだ

 

これはあくまでも僕の中の統計なので、このすべてに該当している人が必ずしもできているとは限らないし、すべてに該当していなくてもできている人は存在します。

 

ただ、これだけはどうしても外せないんじゃないかなと思うのは、「2」と「5」です。

 



 

その理由を今からお話させていただきます。

 

「2・十分自分のために生きてきた」ことがなぜ必要になるのか?

人にはそれぞれ人間力を高める上での成長段階があると思うのですが、ざっくり言うと次のようになります。

 

人間力を高める上での成長段階

【第一段階】

世間体や人の評価を気にして生きる

【第二段階】

世間体や人の評価を気にするが、自分のためにも生きる

【第三段階】

自己中心的に生きる

【第四段階】

自分のために生きながら、人のためにも生きる

【第五段階】

人のために生きる

 

僕が思うに、この段階を通じて人のために生きることができると思っています。

 

生まれてから大人になるまでずっと、第一段階で止まっている人もいれば、第二段階のまま止まっている人もいる。

 

中には、第三~第四段階を行ったり来たりしている人もいることでしょう。

 

第五段階まで到達している人は非常に少ないかもしれませんね。

 

SASUKEでいうと挑戦者数と比較して、ファイナルステージをクリアできた人ぐらいの比率ではないでしょうか。

 

知らんけど。

 

ちなみに、今回の記事は「第四段階」でのお話になりまして、僕もまだこの段階と第三段階を行ったり来たりしている状態です。

 

「あれ?でも第一段階で止まっている人は、人のために生きれないの?

優しくて献身的な人だって多くいるし、おかしくない?」

 

そう思った方もいらっしゃるかもしれません。

 

仰るとおり、世間体や人の評価を気にして生きている人の中には、心がキレイで優しくて、尽くすことに対して喜びを感じる人が少なからずいらっしゃいます。

 

しかし、彼ら彼女らは限界を超えてまで尽くしてしまうことが多く、「自己犠牲」になっている場合がよくあるんですよ。

 

「自己犠牲」と「献身」って似て非なるもので、前者は「本当は嫌なのにな」と思っているのに、自分よりも相手を優先している行為で、後者は「自分が満たされている状態」で行う行為になります。

 

つまり、自己犠牲になってしまう人って、根本は世間体や人の評価を気にしているので、最初は善意で行っていたことがそのうち「嫌われたくないから」「好かれたいから」「波風立てたくないから」という理由にシフトしていることが多いんですよ。

 

あと、「優しくするべき」「尽くさないといけない」といった固定観念で動きつづけた結果、限界を超えてしまったケースもありますね。

 

厳しいようですが、これでは意識が自分に向いてしまっているため、向いてしまった分だけ相手のことを理解できないし共感もできません。

 

ちなみに、「共感力」を強みとして所持されている方は、第一段階の生き方であったとしても人のために生きることが可能です。

 

しかし、非常に利便性が高い共感力の強みですがその反面、この能力に振り回されてしまいしんどい思いをしている人は結構多いので、その状態で人のために生きつづけているとやはり限界はやってきます。

 

下記記事でもお話しましたが、優れた強みはその代償を伴う場合があるということです。

 

【参照記事】

 

それから、これが一番重要なことかもしれませんが、助ける相手を間違えると自己犠牲になってしまうケースは多いので、誰でも彼でも助けてはいけないんですね。

 

またいつかの機会に詳しくお話できればと思うのですが、残酷な現実として世の中には「助けてはいけない人間」が一定数存在します。

 

ものすごく優しくて誠実な人がそういった人間とかかわってしまい、「人生を狂わされてしまった」なんてことは、決して珍しい話しではありません。

 

それに第五段階の生き方って、ガンジーやマザーテレサレベルの人になってしまうので、その段階を目指していないのであれば、僕たちは助けられる人の数や精神的なキャパに限界があります。

 

理想の自分になるためには、エゴイスティックに生きること。

カウンセリングで、「自己肯定感を高めるためにはどうすればいいですか?」とご相談をいただくことがよくありますが、「今まですごく自分を押し殺してきたんだろうな」と感じるクライアントさんに対して、僕がかならず言う言葉があります。

 

それは、「もっと自己中に生きることですよ」と。

 

知らない人が多いですが、自己肯定感が高まると嫌われることや距離を置かれることが増えます。

 

なぜなら、自己肯定感高く生きるには、自分の感情を大切にすることが必要不可欠だから。

 

つまり、「自己肯定感が高い=自分らしく生きる=自分の感情を大切にする=自分を大切にする」という図式になるのですが、そうやって生きていくと、自分を大切にするために人と衝突することが増えていきます。

 

その結果、分かりあえなくて嫌われたり、距離を置かれたりすることがあるというわけです。

 

ちなみに、「話せば人は分かってくれる」と信じている人がいますが、これは幻想です。

 

世の中には、同じ日本人なのに一定数日本語が通じない人種が存在しますから、この現実を知るには、人と衝突しないといつまで経っても分からないことなんですよね。

 

話しを戻しますと、とあるオリンピック金メダリストが、「理想の自分になるためにはエゴイスティックにならないといけない」といった言葉を残したそうですが、正直この言葉には共感しかありませんでした。

 

こういった発言の裏には、「理想のためなら人に迷惑をかけてもいいのか!?」「自分のためだったら人を傷つけてもいいのか!?」という非難が起こるものですが、こういう台詞を言う人たちに限って、何かしらの我慢を強いられて日常を生きていたりします。

 

それに、そもそも僕たちは毎日誰かに迷惑をかけて生きていますし、意図せず人を傷つけてしまうことだってあるわけじゃないですか。

 

これらを回避して生きていくことなんて不可能だし、故意に人を傷つけたり、迷惑をかけたりしなければ、エゴイスティックになることは別にかまわないと思っています。

 

というか、ときにエゴを突き通すことができない人って搾取されることが多いので、エゴイスティックな自分はちゃんと体験しておいたほうがいいんですよね。

 

余談ですが、「エゴイスティック、自己中、ワガママの違いってなんだろう?」と思った方のために説明させていただくと、ほとんど同義だと思っていただいてかまいません。

 

ただ、ワガママだけはちょっと違っていて、この言葉の意味は、「自分で自分の機嫌が取れないから、その機嫌を相手に取ってもらおうとすること」だと思ってください。

 

エゴイスティック、自己中なのは「自分で自分の機嫌を取れている前提での在り方」なのに対し、ワガママは、「自分の機嫌を誰かになんとかしてもらおうとする子供の在り方」ですね。

 

あと、これはすごい酷な話しですが、どうしてもそれがやりたいと思えるものに限って、それを選択するとその裏で犠牲になる人がかならずといっていいほど存在します。

 

たとえば、親は安定した生活や仕事を子供に望んでいるのに、子供は芸能界にどうしても行きたくて、それを選択すると親が悲しむ。

 

憧れだった先輩に告白されてすごく嬉しいんだけど、その人と付き合ったら、自分と同じように先輩に憧れていた女友達を傷つけてしまう、というように。

 

これって結局二択になるので、「自分」を取るか、「犠牲になる相手」を取るかなんです。

 

厳しいようですが、ここで後者を選べない人は、一生誰かの顔色を伺いつづける人生になります。

 

この辺りのお話は、著書「幸福のための人間のレベル論」でも解説していますので、まだご覧になられていない方はぜひ。

 

幸福のための人間のレベル論 ―「気づいた」人から幸せになれる!

 

反動はかならずやってくる。だから自己中にならないといけないときがある。

とはいえ、今までずっと自分を押し殺してきた人が、いきなりエゴイスティックに生きることはなかなか難しいことです。

 

実際、「これってワガママじゃないかな?大丈夫かな?」と思って恐る恐るやってみたことが、ワガママでもなんでもなかったなんてのはよくある話しで、ほとんどの人が小出し小出しに自分を開放していくことが多いですね。

 

その中で、自分の大切なものや譲れないものを見つけていき、少しずつ理想の自分に近づいていくというわけです。

 

そうやって生活をしていくと、どんどん自己中になっていきます。

 

    • やりたいことはやらないと気がすまない
    • やりたくないことはやらない
    • 相手がどうかじゃなくて自分がどうか

 

自分を出せば出すほど、「なんで今までこんなに我慢してたんだろう。バッカみたい」と思うようになっていきます。

 

でも自己中になる経験ってすごく大切なんです。

 

なぜなら、人間ってかならず反動があるんですよ。

 

押さえつけられたら押さえつけられるほど、それはいずれ不健全な形で爆発します。

 

対人関係で、いけないと分かっているのに感情的になることを止められない人、お酒を飲んだら、暴言を吐いたり暴れたりする人。

 

もっと酷いケースになると、反動が強すぎて殺人に発展する場合もありますよね。

 

反動は、下記記事に書かれている「チョロQ理論」がまさしくそれに該当します。

 

 

抑圧された人生を送ってきた人ほどその反動は大きく、不健全な形で爆発するので、ストレスを感じたらちゃんと発散させないといけないんですよ。

 

そのためには、自分の好きなことをしないといけないし、やりたくないことは一度やめないといけません。

 

自己中になったことがない人って、きっちり何かに抑圧され続けてきた人なんです。

 

しかし自己中に生きすぎるとよろしくないことが起こる。そのときは?

抑圧から開放されてあまりにも快適すぎるので、加減が分からずどんどん「自分のことしか考えない」状態になっていく人がいます。

 

そうすると、さすがにまずい事態が起こってくるんですよ。

 

何がまずいのかというと、こういうことなんです。

 

    • 味方にしないといけない人を敵に回してしまう
    • 大事な人が呆れて離れていく
    • 自分のことしか考えない生き方をしてきた結果、不誠実な人間ばかりが残る

 

つまり、自己中に生きすぎたら、それにつれて味方がどんどん少なくなるということですが、「自分は自分だからこれでいい!」と思えるんだったら、それはその人の人生なので別にかまわないんです。

 

しかし、「欲しい味方がいないのはさすがに具合が悪い」と思う人のほうが多いじゃないですか。

 

そのとき、どうすればいいかというと、「自分を出す加減を調節する」ことなんですよ。

 

「ここまで言い過ぎたら傷つく人がいるんだな→だからこれは言わないようにしよう」とか、「これをやり過ぎたら反発されるんだな→だったらここまでで止めておこう」というように。

 

このとき間違ってはいけないのが、「ここまでだったら折れてもいいよ・飲んであげるよ」という「妥当ライン」を基準にすることであり、「ほんとは嫌なんだけどしょうがないか」という「妥協ライン」を基準にしてはいけないことです。

 

妥協ラインを基準にすると、せっかく自分のために生きることができるようになってきたのに、また自己犠牲の生活に戻ってしまうわけじゃないですか。

 

実際、そういう人はかなり多く存在します。

 

こうやって自分を出しつつ、対人関係を通じて距離感や接し方を学び、自分を調節していくわけです。

 

まあ、抑圧されすぎた生活を送ってきた人がいきなり自己中になりすぎるケースはあまりないですが、そうであってもそうでなくても、妥当ラインで自分を「良い意味で」人に合わせることはWin-Winの関係を築くにあたって必要不可欠ですね。

 

ここで本題。なぜ自分のために生きることが必要なプロセスになるのか?

自分の妥当ラインを崩さず、人や社会と折り合いをつけていくと、ほぼノンストレスな生活を送ることができます。

 

このとき、お金や時間などその都度欲しいものが出てきたとしても、かつて感じていたしがらみからは開放されているので、対人関係の悩みはほとんどありません。

 

つまり、この状態になってようやく「精神的な余裕」ができているんですよ。

 

前回アップした記事の中でも、「余裕がないとちゃんと人に優しくできない」「好き=愛を与えることができるわけじゃない」とお話いたしました。

 

【参照記事】

 

人は、精神的余裕が生まれたときに初めて、相手のことをしっかり考えることができます。

 

逆に、この余裕がなくなればなくなるほど、自分のことしか考えられなくなってしまいます。

 

考えてみれば当たり前の話しで、自分の「余裕貯蓄」がないのに、人に余裕を分け与えることなんてできませんからね。

 

自分のために生きていると精神的余裕が生まれるのはお話した通りですが、そうやって日々を過ごしていると、色んな発見が生まれるんです。

 

    • ちゃんと人に優しくしたり尽くしたりしたら、笑顔や自分のためになることが時間差で返ってくる
    • 「花がきれい」「ご飯が美味しい」など、ささやかな幸せを感じれるようになる
    • 自分のために生きているので、常に自分の機嫌を取る方法を探すようになっている自分に気づく
    • 生きづらかったときの自分を思い出し、もうあの頃には戻りたくないと思う
    • 精神的な余裕がないと、色んなことが上手くいかないんだと気づく←ここ大事

 

生きづらさが消えなかった人ほど、精神的余裕が生まれたときに初めて、これらのことを発見するんですね。

 

一つ目の、「ちゃんと人に優しくしたり尽くしたりしたら、相手の笑顔や自分のためになることが時間差で返ってくる」という部分に関しては、生きづらさを感じている人の中でも「そんなこと分かってるよ」と思う方も多いかもしれませんが、精神的に余裕がないから頭では理解していても「腑に落ちてない」んですよ。

 

どういうことかというと、「精神的余裕がない=自己犠牲になっている」ということでして、最初は良かれと思ってしていたことが、気づかないうちに「嫌だな」と思いながらやり続けているので、見返りを求めたり不平不満が出たりするんですね。

 

「こんなにやっているんだから良いことがあるはず」とか「私ばっかり頑張って不公平だ!」というように。

 

中には、「見返りとか不満とかそんなこと考えちゃいけない、相手が喜んでくれたらそれでいいんだ」と自分に言い聞かせている人もいるのではないでしょうか。

 

でもこれは残念ながら、余裕がないから自分に意識が向いている状態なんですよね。

 

話しが少し脱線してしまいましたが、精神的余裕がある状態を維持しつつ生活していると、良い出来事がどんどん連鎖していくので、幸福度がどんどん増していくんですよ。

 

そのとき、「自分のために生きていると良いことがある」という状態に慣れ親しみすぎてそれが当たり前になっているので、実はちょっと飽きてるんですよね。

 

そして、「人のために生きるのも悪くないか」と思うようになるんです。

 

精神的余裕がないとこの発想にならないことを、理解していただけたでしょうか。

 

「5・愛することを学んだ」経緯が必要になる理由。

しかし残念ながら、自分のために生きることができても、愛を学ばなければ本当の理解と共感にたどり着くことはできません。

 

ここで一つ質問させていただきます。

 

「愛してる」ってどういう状態だと思いますか?

 

この状態を「好きの上位互換」と考えている人は、「愛してる」という言葉の意味を「感情」だと捉えています。

 

違うんですよ。

 

「愛してる」って、感情でもありながら「行動」でもあるんです。

 

たとえば、「もう旦那のことを愛せなくなった」と言う女性がいたとします。

 

この状態からでも、旦那さんのことを愛することは可能なんですよ。

 

なぜなら、愛そうと努力して働きかけることも、「愛してる」になるからです。

 

つまり、愛するってこういうことです。

 

「愛する」の定義
    • 相手のため「だけ」を思って考えることができる
    • 相手に対してだけではなく、自分に対しても誠実である
    • 自分の時間を割いて、相手のためだけに時間を使うことができる
    • 必要であればできる限り手を貸す
    • 相手が求めていても、その人のためにならないことは手を貸さない
    • 相手が求めていないことはやらない
    • その人がどんな姿になっても愛し抜くという決意がある
    • 自分とは違う道だけど、その人が幸せであればそれでいいと願う気持ちがある
    • その人の存在を励みとして頑張る
    • たとえ耳の痛い話であったとしても、その人の意見には耳を傾ける
    • 相手のためにならないことは、ちゃんと指摘ができる

 

いかがでしょうか。

 

「愛してる」という言葉は、知れば知るほど簡単に使えないぐらい重い言葉なんです。

 

そういえば以前、「婚活アプリでまだ会ってない男性から『愛してるよ』って言われたんですけど、これってヤバいですよね?」という質問を何度かいただいたことがあるのですが、ヤバいし軽いしウザいです。

 

こういうことを軽く言える人って、愛してるからそう言ってるんじゃなくて、「愛してほしいから」そう言ってるんですよね。

 

いざ蓋を開けてみたら、「お前、自分が求めるばっかりで何も私のこと愛してないじゃねえか!」となるのはよくある話しです。

 

エーリッヒ・フロムは自著「愛するということ」で、こういった言葉を残していました。

 

愛は受動的な感情ではなく、能動的な活動である。

そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏み込むもの」である。

愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。

それが難しいからなかなかできひんねん。

 

ってなるわけじゃないですか。

 

しかも、精神的余裕がないときに人を愛そうとすると、高確率で自己犠牲になります。

 

そのとき、例外なくといっていいほど「こんなことしたって、何も変わらねえじゃん!」となります。

 

お坊さんから「功徳を積むと幸せになりますよ」といったありがたいお話を聞いて、それを実践した人のほとんどが続かないのと同じです。

 

これは、習慣になるまでやり続けていないことも関係ありますが、そもそも余裕がなかったら今すぐの見返りが欲しいので、習慣化するまで続けることができません。

 

だからこそ前述したように、まずは自分のために生きることが必要になるというわけです。

 

愛って、どうやって学んだらいいの?

では、愛を学ぶにはどうすればいいのか?

 

これは、「自分を愛してくれた人が自分に何をしてくれたか?」を考えることが一番学びやすいです。

 

そして、その人たちが自分に対してしてくれたことの中で、現在の自分が実践できそうなことを心がけていくのがいいのではないでしょうか。

 



 

しかし、中には人に愛された経験がないという人もいらっしゃるかもしれませんね。

 

その場合、周囲の人やネット上、書籍を通じて愛することの意味を学ぶ必要があります。

 

ただ、今まで人の愛に触れず生きてきてしまった人は、愛がないので、愛がある人の意味が分からないんですよ。

 

これは批判でもなんでもなくて、愛を知らないから分からないのは当然なんです。

 

酸辣湯麺を食べたことがない人が、どんな麺料理か分からないのと同じことです。

 

たとえば、ある有名人が多額のお金を募金した出来事がニュースになったとします。

 

ここで、「人格者なんだな。自分も頑張ろう」と思える人が、愛を知っている人。

 

ここで、「どうせ売名行為でしょ。偽善者」と思う人が、愛を知らない人です。

 

さらに愛を知らない人って、愛された経験がないから愛に触れるのが怖いんですよ。

 

今まで、頑なに自分を守って生きてきたから自分をさらけ出すことができないし、さらけ出した自分がどうなるか経験したことがないから、不安と恐怖しかないんですね。

 

恋愛でもよくあるケースなんですが、愛がある人とない人が付き合った場合、ない人は逃げるし、攻撃するし、ある人に対して過剰反応を起こしてしまうんです。

 

このとき、愛がない人は「虐待されていた猫」みたいになっているのですが、虐げられ続けてきたから、「そんな善人いるわけねえだろ」という前提なんですよ。

 

だから、信じて自分が傷つくことになるのを避けたいから逃げるし、「お前の化けの皮をはいでやる!」と言わんばかりに攻撃してくるというわけです。

 

なので、今まで人の愛に触れた経験がない人は、愛という言葉事態に拒否反応を起こしていることもよくあるので、最初のステップとして「なぜそんなに愛を嫌って避けるのか?」と自分に根付いた固定観念を疑わないといけないんですね。

 

【固定観念の解除方法】

 

愛するために行動へ移す。

そして固定観念を解除したら、エーリッヒ・フロムが残した「愛は何よりも与えることであり、もらうことではない」という言葉どおり、人を愛するために実際に行動に移していくことが必要になります。

 

もう一度、人を愛するとはどういうことなのか、下記に記載させていただきます。

 

「愛する」ってこういうこと。
    • 相手のため「だけ」を思って考えることができる
    • 相手に対してだけではなく、自分に対しても誠実である
    • 自分の時間を割いて、相手のためだけに時間を使うことができる
    • 必要であればできる限り手を貸す
    • 相手が求めていても、その人のためにならないことは手を貸さない
    • 相手が求めていないことはやらない
    • その人がどんな姿になっても愛し抜くという決意がある
    • 自分とは違う道だけど、その人が幸せであればそれでいいと願う気持ちがある
    • その人の存在を励みとして頑張る
    • たとえ耳の痛い話であったとしても、その人の意見には耳を傾ける
    • 相手のためにならないことは、ちゃんと指摘ができる

 

今まで愛を知らなかった人が、実際に人を愛そうとするのは、精神的負担がかなり伴うはずです。

 

だからくどいようだけど、やっぱり自分のために生きるという経験をして、精神的余裕を得ることが必要になるんですよ。

 

そうやって、愛がある人もない人も能動的に人を愛そうとし、その経験から愛を学んでいくというわけです。

 

ちなみにその学びからは、前述したような「助けてはいけない相手」の基準も知ることができます。

 

なぜなら、愛そうとその相手を助けてはみたけれど、自分にとってマイナスにしかならなかったという経験をするからです。

 

「助けなきゃ良かったー」程度で済むならかまわないのですが、誰でも彼でも愛そうとしていると愛する相手を間違えてしまい、時として酷い目に遭うことがあるので、そこは注意してください。

 


 

以上が、本当の理解と共感をする上で外せない2つのものになります。

 

理解と共感をする上で必要な2つのもの
    • 十分自分のために生きてきた
    • 愛することを学んだ

 

これら2つを試行錯誤しながら実践するだけでもかなり難しいのに、その上理解と共感まであるわけですよ。

 

「そんなに長い道のりなんだったら今のままでいい」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、まず自分のために生きるよう、心がけてください。

 

これができないと、いつまで経っても生きづらさから開放はされないですし、人の顔色を伺った人生のまま終わります。

 

紆余曲折を経て、自分のために生きることができたそのとき、愛や理解と共感を学ぶか、考えてみてはいかがでしょうか。

 

学ぶと決めたらその道は険しいけれど、歩めば歩むほどその道は、より人生を豊かにするあなたの財産となります。

 

僕もまだまだ修行中の身です。

 

その道を歩むと決められたそのときは、共に学んでいきましょう。

 

 

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