不安が止まらないという方へ。だったら「最悪のケース」を想定すればいいんだよ論。

withonlineで63回目のコラムがアップされました。

 

今回は、「自分の良いところの見つけ方」をテーマにお話しました。

 

 

しかし、世の中がこういった危機的状況ということもあり、普段からネガティブ思考の人だと不安や焦りが増幅してしまい、冷静じゃいられないという方も多いと思います。

 

「こんな事態に自分の良いところなんて探せる余裕ねえよ」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

とくに、下記に該当する方ほど今の時期は余裕を持てないかもしれませんね。

 

    • 周囲から「考えすぎ」「気にしすぎ」といわれることが多い
    • 起こってもない不安をぐるぐる考えてしまうことがよくある
    • 良い結果になりそうなことでも「悪い結果になるのではないか?」と疑ってしまう
    • 「あのときこうだったら」「こうしていれば」という「タラレバ」ばかり考えてしまう
    • 未来への不安が強すぎて今を楽しむことができない

 

日本人女性はこのような傾向が強いといわれていますが、実は言わないだけで男性にもこういう人は多いです。

 

今回のブログでは、不安が止まらないという方へ向けて、その対処法についてお話させていただきます。

 

なぜネガティブな人はポジティブになることができないのか?

自己啓発本では、「ネガティブ思考をやめてポジティブになりましょう」みたいなことがよく書かれていますよね。

 

この言葉に触発されて思考を改善しようと実践した人の多くが、ポジティブになるどころか何も変わってないんですよ。

 

その事実を知ってるから、「もっと前向きになろうぜ!」なんてことを言うつもりはさらさらないですし、普段ネガティブ思考な人がいきなりポジティブになることは基本的に不可能なんです。

 

なぜなら、いつもネガティブなことばかりを考えている人は、それが「当たり前の自分」になるわけじゃないですか。

 

そういった人がポジティブに考えようとしても「思ってないから拒絶反応が出てくる」んですよ。

 

とたえば、普段から「私はどうせブスなんだ」と思ってる人が、「私はかわいい」と思おうとしてもそれは無理な話しです。

 

「私はかわいい。でもブスだし・・・いやいやそんなことはない!かわいい!・・・うーん・・・でもなあ・・・そう思い切ることができないんだよなあ」みたいになるんですよ。

 

他にも、アファメーションってありますよね。

 

「俺はできる!」「きっと上手くいく!」というように、自己暗示をかける手法です。

 

勘違いしてる人が多いのですが、これって元々「できる」「上手くいく」という「理由と根拠」がある人しか効果がありません。

 

アファメーションを行って効果があるのは、それまでに積み重ねた努力と実績がちゃんとある人、そして、生死にかかわるような決断をしないといけないときや、どうしてもそれをやらないといけないときなど「追い込まれている・後がない状態時」です。

 

効果がないケースで一例を出すと、練習さぼって遊んでばかりいるアスリートが「俺は絶対に勝つ!」とアファメーションを行っても、勝てるどころか惨敗しますよね。

 

勝てるという理由と根拠がない上に、自分でも「俺は大した練習してないもんなあ」と大なり小なり自覚しているから、プラスに思い切ることができないんです。

 

それに、人は自分で思っていないことをしようとすると、そこに大なり小なりストレスを感じます。

 

つまり、いつもの自分じゃないことをしようとするほどそうなるんですね。

 

もちろん、人は習慣にしていないことを日常に取り入れようとするとストレスを感じてしまうものです。

 

「早起きできる自分になりたい」「読書習慣をつけたい」「運動を日課にしたい」などなど。

 

でも、ネガティブ思考って考え方の癖であり、「自分はそう思っている」という「価値観や固定観念」じゃないですか。

 

なので、この考え方の癖を矯正するためには、価値観や固定観念をくつがえすことがまず必要になります。

 

それをしないままいきなりポジティブ思考になろうとしても、不可能なのは当たり前なんです。

 

そう考えると、習慣にしたい行動があってもいつまで経っても定着しないのは、固定観念が邪魔していることも考えられますね。

 

固定観念の解除法に関しては、下記記事か著書「一生ブレない幸せを手に入れる方法おしえてやんよ」とご覧いただけると幸いです。

 

【参照記事】

 

「本当の自分を取り戻して、一生ブレない幸せを手に入れる方法おしえてやんよ」

 

ネガティブになると集団心理が悪い方向にはたらく。

今の時期はとくにネガティブな気持ちを処理できなくて、それが不健全な形で現れることがよくあります。

 

どういうことかというと、次のようなものです。

 

【自分より下の人を見下して安心する】

「例」

    • ワイドショーなどを見て悲惨な目に遭っている芸能人への同情
    • 収入がなく大変そうな人を見て自分はまだましだという安心

【悪いことをしている、ありえないと思う人間に対してのバッシング】

「例」

    • 国民に対して何もしてくれない政府への憤りをSNSに投稿
    • 不祥事を起こした芸能人がYou Tubeに進出したことへの非難

【周りもそうしているからと誘惑に負ける】

「例」

    • 自粛疲れを起こして外に出た人に対する仲間意識
    • 「たまには息抜きも必要」という甘え

 

とまあ今挙げた例は、コロナウイルスの影響に関係なく今も昔もよく起こっている事象になりますが、これほどまでに世の中がおかしくなってくると、いつも以上に顕著にそれが現れているように感じます。

 

とくに現在は、自分の軸をしっかりと持っている人であっても、集団の中に入ると自分のことを見失いやすい時期といえるでしょう。

 

具体的にどういった症状を引き起こすか、お話させていただきます。

 



 

1・考え方が短絡的になる

普段は物事を深く考えられる人であっても、多数決で多い意見を目にすると、「そっちのほうが正しいのかもしれない」と単純に考えるようになってしまうことがあります。

 

いつも人に流されている人だとそうなるのは当たり前なのですが、そうじゃない人でも流されることがあるのは「考え疲れ」を起こした結果ともいえるでしょう。

 

つまり、「これ以上考えるのはしんどいから、多いほうの意見に同調しておこう」となってしまうわけです。

 

2・道徳性を欠いた行動をするようになる。

分かりやすい例が、毎年行われる渋谷でのハロウィンではないでしょうか。

 

どんな状況であっても街を汚していい理由なんて一つもないのに「みんなが捨てているから」という理由で、平気で道端にゴミを捨てるような人たちがその最たる例です。

 

いつもだったら絶対にしないことなのに、集団に紛れると道徳性が欠如してしまう人って、「みんなやってるからどうせバレないし、言われる筋合いもない」と思ってるんですよね。

 

3・デマを信じやすくなる。

人はパニック状態になったとき、正常な判断力を保つことができなくなります。

 

たとえば、施設の中で火災が起こったときに他にも非常口があるのに、一斉に同じ出口を目指して人々が逃げ出す例が分かりやすいのではないでしょうか。

 

ここで誰かが何の根拠もないのに「そっち行ったら死ぬぞ!出口はこっちだ!」と言ったら、この人のほうに人々は流れるので、パニック状態の人間は暗示にかかりやすくなるんですね。

 

4・感情的になりやすくなる。

人は余裕がなくなると感情的になりやすいです。

 

とくに今の時期はそれが顕著に現れていて、毎日のように政府や不祥事を起こした芸能人に対してのバッシングツイートをよく目にします。

 

つまり、感情の行き場がないから「誰か攻撃しないとやってらんねえよ」状態になっている人が少なからずいて、攻撃性が増幅してしまうんですね。

 

5・共通の敵を作って攻撃する。

人が団結するために必要なプロセスの一つに、「共通の敵を作ること」があります。

 

学校の体育祭で普段はまとまりのないクラスが団結するは、敵対する他クラスがあるからなんですね。

 

これが良い方向に作用すれば問題ありませんが、悪い方向に作用すると「間違った正義」を関わっている人間の大半が振りかざすようになります。

 

この場合、下手すれば犯罪になりかねないことなのに、集団に紛れてしまったせいで「自分は正しい行いをしている」と思い込み、暴挙に出る人間も少なくありません。

 

6・動揺することが増える。

常に不安にさらされていると、その分だけ動揺することが増えるのは当然です。

 

しかしこれが当たり前になってくると、敏感になりすぎるあまり、些細なことであっても不安や恐怖を感じて動揺することが多くなるんですね。

 

その結果、自分が何に動揺しているのかも分からなくなり、常に怯えた状態になることは珍しくはありません。

 


 

以上になりますが、現在のような危機的状況におちいると、普段はまともで思慮深い人であっても集団の中に紛れてしまうと、我を見失うことがよくあります。

 

しかも現代は、人が密集しているところに出向かなくても、ネット一つで人々の動向が知れてしまうわけじゃないですか。

 

とくに不安感や焦りを感じやすい今のご時世だと、つい集団の意向に流されてしまうという人も多いのかもしれませんね。

 

しかし。

 

いくら一人だと不安だからといって、今挙げた6つのような行動に走っても、残念ながら「そこからは何も生まれない」んです。

 

じゃあどうすればいいのかというと、不安は消そうとしても出てくるものなので、それだったら徹底的に不安の中に飛び込んでやればいいんですよ。

 

それも建設的な方法で。

 

不安感が消えない人の多くは、「最悪のケース」を想定していない。

僕はブログでも「起こってもいないことを考えるのは無駄」だと言ったことがありますが、厳密にいうとこれはただ「どうしようどうしよう」と慌てふためくだけだったり、タラレバばかりを考えたりするのは無駄だと言いたいのです。

 

常に何かしらの不安に苛まれている人に足りないのは、「最悪のケースの想定」

 

つまり、考えられる限りの最悪のケースを想定して、もし本当に起こったときに「どう対処するか?」まで考えないから、不安が消えないんですよ。

 

たとえば、今好きな男性との上手くいくかどうか分からない恋の行方について。

 

ネガティブ思考が止まらない女性は、このように考えます。

 

彼と付き合えたらいいな。

でも、上手くいかなかったらどうしよう・・・。

ダメダメ!考えたくない!

でもなあ・・・。この間会ったときにちょっと素っ気ない気がしたんだよなあ・・・。

やっぱりダメなのかなあ。

いや!そんなこと考えたくない!

みたいな。

 

こういうときは「未来の予測」が役に立つのですが、それは下記記事でお話したとおりです。

 

【参照記事】

 

 

最悪のケースの想定はもっと踏み込んだ状態のことを考えます。

 

前述したネガティブ思考が止まらない女性のケースだと、「好きな相手と上手くいかなかったときの想定と対処法まで考える」んですよ。

 

つまり、ダメだったときの自分の身の振り方まで考えるということなんですね。

 

「でも、そんなことまで考えたら気が狂いそうになる!」

 

そんなことを考える女性もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

ではここで、最悪のケースを想定していた人とそうじゃない人の違いについてご説明させていただきます。

 

先見性がある人とない人の差が明るみになったあの出来事。

たとえば、元モー娘。の不倫スキャンダル。

 

最初は矢口真里さんで、次は後藤真希さんが記憶に新しいですね。

 

矢口さんの場合、自宅に浮気相手を連れ込んでいたわけじゃないですか。

 

その現場を元夫である中村昌也さんに写真を撮られてしまった上に、連日ワイドショーで取り上げられる結果となりました。

 

彼女の場合、下記記事にあるような典型的に「先見性がない人」の特徴に当てはまるのですが、最悪のケースを想定していたらまず自宅に不倫相手を連れ込まないし、マスコミへの対応も後手後手に回らなかったはず。

 

【参照記事】

 

そんな矢口さんと対照的だったのが、後藤真希さんです。

 

後藤さんは不倫をマスコミにすっぱ抜かれたあと、即座に事実であることを認め、謝罪しました。

 

これは憶測でしかありませんが、おそらく彼女はバレたときのことを想定していたから、すぐさま責任を取る行動に移せたんじゃないかなと僕は思っています。

 

「そこまで想定していたんだったら、不倫するなよ」という意見はさておき、最悪のケースを想定している人とそうじゃない人との「責任を取る速度」って全然違うんですよ。

 

そういった意味では、昨年闇営業問題で連日ニュースで取り上げられた宮迫さんにも同じことが言えます。

 

彼は、ギャラを受け取っていたのに受け取っていないと言ってしまったため、それが明るみになってから「なんであのときにちゃんと謝らなかったんだ」とバッシングされましたよね。

 

ここで最悪のケースを考えられる人なら、「もしかしたらフライデーはもう俺がギャラを受け取ったことを知っているのかもしれない」と考えるわけですよ。

 

そこを考えなかったから、嘘をついたんですね。

 

あと、今は引退された島田紳助さんも、最悪のケースを考えられる側の人間だといっていいでしょう。

 

彼はテレビに出ていたときから「俺は常に最悪のケースを考えている」と豪語していましたが、黒い交際報道が世に出たとき、すぐさま引退会見を行いましたよね。

 

これもまた憶測でしかありませんが、おそらく島田さんは引退することも引退したあとに宮古島に移り住むことも、すべて早い段階で想定していたのではないかと思っています。

 

今挙げた芸能人の方の人格や人間性についてここで言及するつもりはありませんが、最悪のケースを想定しない人って「往生際が悪い」んですよ。

 

これは一般の人にもいえることで、何か責任を取らないといけないようなことをしでかしたかどうかはさておき、最悪のケースを想定できない人って、「もうそれ以上無理やで?」という出来事に直面しても、潔く引くことができずに執着したり取り繕ったりするんですね。

 

逆に普段からちゃんと想定できている人は、責任を取るスピードが早いだけではなく、先手先手で物事を考えているので、不測の事態が起こったとしてもその対処に向けた行動に移すのも早いんです。

 

あらかじめ想定して対処法まで考えているわけですからね。

 

「でも、そんな悪い未来のことをいつも考えていたら頭が変になりそう」

 

そう思った方もいらっしゃるかもしれません。

 

あくまでも今挙げた例に関しては、「やらかしてしまった出来事」についての最悪のケースの想定です。

 

僕たちは生きている中で大なり小なり何かやらかしてしまうことがありますが、そうじゃない場合の最悪のケースの想定は、本来次のように使うものなんです。

 



 

「もしかしたらポシャるかもしれない」と考えておく。

たとえば友達と遊ぶ約束をしていたとします。

 

でも友達と会えるかどうかって、当日のその時間になってみないと分からないですよね。

 

もしかしたら友達が体調を崩して会えなくなるかもしれないし、残業で仕事を抜けられなくなるかもしれない。

 

この場合、会えたときのことを考えて「何を話そうか」「何して遊ぼうか」と良い未来のことを考える人のほうが多いと思うんです。

 

ここで一歩踏み込んで真逆の未来のことも想定しておくんですよ。

 

それは、「約束がポシャったときにどうしようか?」という想定

 

つまり、「ポシャったときの代替案」をあらかじめ考えておくんですね。

 

家で映画鑑賞をしてもいいし、以前からずっと行きたかったお店に一人で行ってもいい。

 

こうやって、友達と会えたときの未来と会えなかったときの未来を考えておくと、もし土壇場になって約束が流れたとしても、別の行動に移ることができるわけです。

 

ようは、楽しみにしている物事に変わるぐらいの楽しみを別に用意しておくんですよ。

 

それが「最悪のケースの想定」です。

 

「最悪のケース」というと、ネガティブワードが含まれているのであまり良い印象を持つことができないという方も多いかもしれません。

 

単に起こり得る可能性がある未来をできるかぎり想定し、もしそうなったときにどう対処するかを考えておくという意味では、「未来の予測」と何も変わらないんですよね。

 

最悪のケースを想定すると得られる大きな恩恵。

ここまで読み進められた方の中には、「でもせっかく楽しみにしていることがあるのに、ポシャる前提のことも考えるのはなんか嫌だなあ」と思った方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

じゃあお聞きしましょう。

 

楽しみにしてたことが急にポシャったら、めっちゃヘコまへん?

 

ってことなんです。

 

なぜヘコんでしまうのかというと、言うまでもなく「期待していた」からに過ぎません。

 

良い未来のことだけを考えているだけでは、ポシャったときに楽しみにしていた分だけ落胆してしまうんですよ。

 

つまり、最悪のケースを想定していると「人と状況に期待しなくなる」という恩恵を得ることができるんです。

 

これが一番のメリットかもしれません。

 

もちろん、最悪のケースを想定していても楽しみが大きければ大きいほどヘコむことはありますが、何も考えていないときよりもダメージは少ないです。

 

実際、僕にもそういったことが過去にいくつもありましたし、その中でもとくに印象的な出来事を次にお話したいと思います。

 

盛大にポシャりそうだったあの出来事。

4冊目の著書である「本当の彼氏のつくり方」。

 

 

実はこの本が刊行されるまでには様々な紆余曲折があったんですよ。

 

元々は、編集プロダクションのピーエーディーさんからいただいた案件だったんですね。

 

どういった方向の書籍にするかを先にメールで打ち合わせし、完成形が見えたところで、担当者の方が出版社に営業をかけるというところでひとまず落ち着いたんです。

 

それから1週間ほど経ってから「出版社さんが見つかりました!」というご連絡をいただきまして、会社HPを見てもすごく良さそうだったので、一つ返事で承諾いたしました。

 

出版社の担当の方ともやり取りをし、正式にゴーサインが出たので執筆に取り掛かったんです。

 

そして原稿が完成した1ヶ月後。

 

ピーエーディーの担当者さんからこのようなご連絡をいただきました。

 

「実は○○さん(出版社)の資金繰りが上手くいっていないらしく、上層部のほうで新刊を刊行できないと決定がおりたようです。

原稿が完成したあとにこのような事態になり、本当に申し訳ありません。すぐさま別の出版社を見つけてまいりますので、どうかお待ちいただくことはできないでしょうか?」

 

さすがに「うおーマジかー」となりましたが、誰も悪くないじゃないですか。

 

出版社の担当の方も直前まで何も聞かされていなかっただろうし、ピーエーディーさんももちろん知らなかったわけですからね。

 

それに、逆の立場だったら申し訳なさすぎて言いづらいことこの上極まりないなあと思ったので、「事情が事情なのでしょうがないです。気にしないでください」というように返信しました。

 

実は、僕が冷静にこのように切り返すことができたのって、すでに最悪のケースを想定していたからなんですよ。

 

僕は書籍の執筆依頼をいただいたとき、手元に原本が届いて店頭に並ぶまで「もしかしたらポシャるかもしれない」と考えて、そうなったときの代替案を考えています。

 

それは一冊目の著書である「本命になる技術」からそうなんですが、出版社さんを信用してないとかそういうことじゃなくて、不測の事態が起こったときの対処法をあらかじめ考えているだけなんです。

 

ちなみに「本当の彼氏のつくり方」に関しては、「ポシャったときはnoteで有料公開しよう」と考えていたんですね。

 

実際に大きな仕事がポシャると多少なりともショックはありましたが、すでに代替案を視野に入れていたし、担当者さん2人が「絶対に代わりの出版社さんを見つけてきます!」と言ってくださったので、5分ほどで立ち直りました。

 

このときももちろん、「出版社が見つからなかったときの想定」をしていました。

 

「1ヶ月ぐらい待って、それで難しそうならnoteで公開かな」と思っていたのですが、10日ほどで刊行できる出版社さんを見つけてくださったんです。

 

それが、6冊目の著書「一生ブレない幸せを手に入れる方法おしえてやんよ」でもお世話になった廣済堂出版さんなんですね。

 

人生なにが起こるか分かりません。

 

結論からいうと、業績不振の出版社さんから書籍を出さなくて良かったし、早まってnoteで公開しなくて本当に良かったです。

 

今でも社長さんとは非常にいいお付き合いができているし、廣済堂出版さんと仕事ができたことは、僕にとって非常に有意義で勉強になる経験ばかりでした。

 

その節は本当にありがとうございました。

 

今後とも何卒よろしくお願いいたします。

 

最悪のケースを想定しておくと過ごし方が変わる。

今お話した出来事から得られる教訓についてですが、「人生悪いことが起こったあとに良いことが起こる」と言いたいわけではありません。

 

何が言いたいのかというと、「良いことが起こるまでの間、気持ちの持っていき方一つで過ごし方がガラリと変わる」んですよ。

 

最悪のケースを想定していたら、物事に期待しないから良いことが起こるまでの間もリラックスして平常運転で過ごすことができます。

 

実際僕も廣済堂出版さんと巡り会うまでの間、いたって冷静に平常運転で過ごしていました。

 

しかし、最悪のケースを想定していなかったら?

 

もしかしたら「いつ新しい出版社が決まるんだ」と連絡が来るまでイライラしていたかもしれないし、「決まらなかったらどうしよう」と不安になっていたかもしれない。

 

すでにお気づきの方が多いと思いますが、人や状況に対して期待が止まらない人って、自分の機嫌が相手や状況次第でガラリと変わるんですよ。

 

逆に、最悪のケースを想定していたら良い意味で人や状況に期待しないし、自分が取るべき行動を自分で決めることができるので、それが定着するほどブレることがなくなります。

 

とくに今の時期、将来の不安を感じすぎてしまい、毎日をネガティブに過ごしている方も多くいらっしゃるかもしれません。

 

だったら、起こりそうな出来事を考えられる限りすべて想定して、もしそうなったときの対処法まで考えておくことで、かなり腹がくくれるのではないでしょうか。

 

実は、いろんな物事に対していつまで経っても覚悟が決められない人って、最悪のケースを想定できていないんですよね。

 

まとめますと、最悪のケースを想定することで得られるメリットは次のようになります。

 

【最悪のケースを想定すると得られるメリット】
    • 人や状況に期待しなくなる
    • 代わりの楽しみを見つけることができる
    • 自分の機嫌を自分で取れるようになる
    • 不測の事態に備えて腹をくくることができる
    • やらかしてしまったとき、責任を取るスピードが早くなる

 

ネガティブ思考が止まらないんだったら、いっそのことさらに踏み込んで最悪のケースを想定しようぜってことです。

 

最悪のケースの想定は、現実と向き合わざるを得ない場面も多いので慣れるまではしんどいし嫌になることもあるだろうけど、生きていく上で必要不可欠な思考方法の一つだと僕は考えます。

 

ちなみに、真っ当に人生を自力で切り開いてきた人は絶対といっていいほど身につけている思考法でもあるので、参考までに。

 

 

【withonlineのコラムはこちら】

 

✩喜びの声多数!あなたの人生と恋愛に革命が起きる!リアライフマネジメントはこちらから✩

 

☆リアライフマネジメントQ&Aはコチラ☆

 

☆藤本シゲユキ・著書一覧☆