脱生きづらさ!幸せに生きたいなら捨てておきたい8つの固定観念。
withonlineで88回目のコラムがアップされました。
今回のテーマは「自尊心を高める3つの方法」です。
自尊心と自己肯定感は同じ意味で使われやすいのですが、生きづらさを抱えている人ほど、これら2つが低い傾向にあります。
そして、人が生きづらさを感じるようになった根本の原因は、「固定観念を誰かに植え付けられたから」です。
固定観念というのは、深く考えず「そういうものなんだ」「きっとそうなんだ」と強く信じてしまった「自分の思い込み」。
その結果、固定観念に縛られて「○○しなければいけない」「○○すべき」という思考になってしまうわけです。
日本人は優しい種族と言われていますが、それと同時に同調圧力が強い種族でもあります。
その同調圧力の強さのせいで、人から「みんな同じようにしてるから、お前もこうしろああしろ」と強制されすぎていると、「その通りにしないといけない」と思う人があまりにも多いんですね。
しかし、今挙げたような強制のやり方は分かりやすいですが、そうじゃないものもあるんです。
たとえば、「○○しないといけないよ」「○○した方がいいよ」といった諭すような強制。
諭すように言われるものだから受け入れやすいし、「そういうものなんだ」と思いやすいんですよね。
そして、同調圧力や諭すような強制で植え付けられた固定観念は、たちが悪いことに、一見すると正しいものに見えてしまうことがよくあります。
どういった固定観念が該当するのかというと、こちら。
-
- 1・見下してはいけない
-
- 2・ネガティブはいけない
-
- 3・怒りはいけない
-
- 4・復讐してはいけない
-
- 5・許さないといけない
-
- 6・比べてはいけない
-
- 7・人に迷惑かけてはいけない
-
- 8・感謝しないといけない
一見すると正しそうじゃないですか。
でも、これらの理論を信じて「そうしなければいけない」「そうするべき」と思って固定観念になっている人ほど、対人関係で起こるモヤモヤや、生きづらさが消えないんですよね。
逆に、これらの理論に縛られていない人ほど、モヤモヤや生きづらさが少ないです。
では、なぜこれらの理論を鵜呑みにしてはいけないのか?
なぜこれらの理論に縛られていない人ほど生きやすいのか?
それが、今回のブログのテーマです。
目次
正しいか悪いかは、あってないようなものである。
そもそもですが、正しいか悪いかは自分で決めることであり、その定義って実はあってないようなものです。
たとえば、戦争をしている国同士は、両国とも「自分が正しい」と思ってるわけですよね。
なので、立場が違えば正義にもなるし、悪にもなるんですよ。
それに、自分の正義を遂行したいなら、その裏には必ず犠牲になる人が存在するので、完全なる正義なんてものはこの世に存在しないんですよね。
政治家がどんなに良い政策をかかげて実行しても、反対する人は絶対にいるというのが分かりやすい例だと思います。
自分を守るために悪にならないといけないときがある。
さらに、自分の身を守るためには、ときとして「悪に徹さないといけないとき」があります。
つまり、「やらないとやられる」というときが、悪に徹するときなんです。
悪というのは犯罪行為だけではなく、「一般的に見て人として間違っている行い」も含まれます。
って思うじゃないですか。
それは、多数決で支持されているものが「一般的」であり、僕たちが常識と呼んでいるものになります。
ようするに、多数決で多いからといって、それが必ずしも正しいわけではないんですよね。
なので、多数決で支持している人が少ない行いが、多く支持している人から見ての悪になるというわけです。
正しいか悪いかって、主観なんですよね。
清く正しく生きていれば報われる?
前述した8つの正しそうな理論を信じてその通りにしている人たちの多くは、清く正しく生きている善人です。
それなのに、誰かに酷い目に遭わさることがあったり、都合よく扱われることがあったりして、搾取されていることがよくあるんですね。
ここではっきり言います。
清く正しく生きてたら報われるって嘘やからな?
そもそもですが、「清く正しく美しく生きる」って、自分に危害を加えてくる人がいない前提の言葉なんですよ。
危害を加えてくる相手が目の前にいるのに、清く正しくしていたら、さらに搾取されてつらい思いをするのは自分です。
もちろん、そういう相手に対しても清く正しく接することができれば、それは美しいし、素晴らしいことでしょう。
しかし、それは「そんな自分が好き」と言い切れる人が美しいのであって、「清く正しく生きてるのになんで?」「どうして私がこんな目に?」と思う人は該当しません。
厳しいようですが、搾取されて苦しんでいる人を見て、美しいと思う人はいないからです。
そんな人間がいたら、それはただのヤベえ奴じゃないですか。
あと、勘違いしている人がものすごく多いですが、
清く正しく生きることって、なんでもかんでも許して人に迎合することじゃありません。
自分の信念や信条に基づき自分を貫ける人が、清く正しく美しいのです。
信念や信条というのは、自分が信じる「正しい考えや行い」。
この2つに基づき自分を貫いている人は、人に強制しません。
なので、嫌なときは嫌ってはっきり言うし、それで仲違いする可能性があっても、相手に自分の信念と信条を強制することはないです。
だから美しいのです。
もちろん、仲違いしないように話し合いや提案はするでしょうが、歩み寄った結果分かりあえないようなら、自分と相手のために決別の道を選びます。
そして、本当の意味で清く正しく生きている人でも、自分に危害を加えてくる人間に遭遇したときは、その場に応じた対応をちゃんと行います。
ただやられっぱなしでサンドバッグになってないし、応戦するか拒絶しますね。
しかし、前述した8つの正しそうな固定観念の通りに実践しようとしている人たちに、信念や信条を持って清く正しく美しい人間になれといきなり言ってもそれは難しい。
なぜなら、8つの理論を信じすぎて固定観念になってしまい、それが非常に邪魔になるからです。
そういった理由から、まずは8つの固定観念の解除を一つずつ始めてみましょう。
一見正しそうに見える8つの固定観念の解除。
今からお話することは、見る人が見たら「性格悪い」と思われる項目も入っています。
ただ、人が幸せになるにはいくつもの成長段階がありますし、前述したように、ときして悪にならないと自分を守れないことが多くあります。
そのためには、まず8つの固定観念を解除するのが先決。
はじめは軽い気持ちで、「生きやすさを手にしてる人ってこういう考えなんだ」という感じでご覧いただければ幸いです。
1・見下してはいけない
たとえば職場で、パワハラ上司と上手く渡り合っていたり、理不尽なことを言われてもダメージを受けてない人っていませんか?
こういう人って、世渡り上手やメンタルが強い人と思われがちですが、多くの場合、そういうわけではないんです。
相手を見下してるから、理不尽な相手とも上手く渡り合えるし、怒られてもそんなにダメージを受けてないんです。
つまり、こういう思考なんですよね。
コイツ、怒らせたら面倒くさいし
適当にゴマすって機嫌とっておくかー。
めちゃめちゃなこと言ってんなー。
話し通じないだろうし、
適当に相槌打っとくかー。
「なんて性格が悪いんだろう」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、人間関係でストレスを溜め込まない人って、大体「自分を守るための見下し」が入っています。
実際、僕が会社員勤めしていたときの話しですが、一番最初の上司がなかなかのクズだったんですよ。
僕は嫌われていたので、ことあるごとに理不尽な怒られ方をしていました。
そのとき、僕が思っていたのはこうです。
コイツ、カスやなー。
しばきたいわー。
上司を見下してるからめちゃめちゃ腹が立つわけでもないし、腹が立ちすぎたら言い返していたので、存在が目障りなだけで、言うほどのストレスはなかったです。
こういうことを書くと、「人を見下す人間って、誰に対しても見下してそう」と思った方もいらっしゃるかと思います。
もちろん、そういう人間がいるのは事実ですが、誰彼かまわず見下している人は例外なく幸せそうじゃないです。
そういう人って、自分より下の人を見下して「自分はまだましだ」と安心して言い聞かせてるだけなんですよね。
ですが、生きやすさを手にしているって、人間関係のストレスがなく、幸せってことじゃないですか。
こういう人たちが見下す相手は、「自分に危害を加えてくる人間に対してだけ」なんです。
理不尽なことをしてくる上に大体話しが通じないから、まともに対処しようとしたらストレスしかありませんし、見下すことで自分の心を守るというわけです。
なので、「人を見下してはいけない」ではなく、「自分を守るために見下すことも必要である」と覚えておいてください。
2・ネガティブはいけない
どっかでキャンペーンが行われてんのかなと思うぐらい、「ポジティブになろう」「ネガティブを封印しよう」という風潮があります。
この風潮のせいで「「ネガティブに考えたらいけない」と思う人が多いですが、そういうわけではありません。
ネガティブ思考に支配されるのがよくないだけで、ネガティブ思考を完全になくすことはダメだし不可能です。
ここで、ポジティブだけな人とネガティブだけな人の比較をします。
ポジティブだけな人
-
- 楽観的
ネガティブだけな人
こうやって比較すると、「ネガティブなんかいらねーじゃん」と思われがちですが、物事ってなんでも表裏一体なんですよ。
つまり、良い面も悪い面もあるということです。
『ポジティブな人』
【マイナス面】
-
- 物事を深く考えない
-
- 後先考えない
-
- 学習しない
『ネガティブな人』
【プラス面】
-
- 物事を深く考える
-
- 先々のことを考える
-
- 後悔して学習する
下記記事でお話した「最悪のケースの想定」も、ポジティブ思考だけで考えていたら、想定できないんですよ。
ネガティブ思考がいけないんじゃなくて、ポジティブ思考とバランスよく考えることができないのが、いけないということです。
もちろん、ネガティブ思考が必要といっても、「あのときこうしていたら」「こうしていれば」というタラレバを考えても、生産性がゼロなので無駄です。
多くのネガティブ思考な人に必要なのは、「現実を見る力」と、課題や問題を解決するための「生産的思考」の2つになります。
つまり、
今現実で起こってることはこれかー。
こんなこと起こってほしくなかったけど、
言ってもしゃあないしなー。
じゃあここからどうしていこうか?
という考え方です。
「最悪のケースの想定」も「生産的思考」も、ポジティブ思考だけ使ってもできないんですよね。
そういった理由から、ネガティブ思考も必要になるんです。
と、思った方もいらっしゃるかもしれません。
引き寄せの法則を実践しようとしている人は、ネガティブ思考になったらいけないと考えていることがめちゃめちゃ多いです。
ちなみにこの法則って、下記記事でもお話しましたが、スピリチュアルでもなんでもなくて、元々は「本気で本心でそう思ってるから、その通りになるように行動したらそうなった」という法則なんですよ。
【長年の片思いを実らせた女性がやっていたこと】
だから、自信も実績もないのに「自分はいける!やれる!」とアファメーションしても意味なくて、「自分だったらいけるだろうな」という確信がないと、この法則は成立しないんですよね。
成立させるためには「根拠のない自信」も必要なので、アファメーションやったり、セルフイメージを書き換えたり、潜在意識をどうにかしようとしたりしている内は、願うものを引き寄せられないと思った方がいいです。
だって、確信がないからそうするわけですからね。
ちなみに、ネガティブ思考があっても確信があれば引き寄せられると思うので、そこはあまり関係ないんじゃないかなと思います。
もちろん、ネガティブ思考はタラレバ思考じゃない前提だけど。
3・怒りはいけない
ここ数年で、「アンガーマネジメント」に関する本や情報が一気に増えたような気がします。
僕もブログで怒りの対処法について書いていますが、情報が増えすぎたせいもあるのか「怒ってはいけない」と考える人がめちゃめちゃ多いです。
怒りが悪いわけじゃないんです。
怒りに支配されて我を忘れたり、他者に自分の機嫌の悪さをぶつけるのがよくないだけなんですよ。
自分を守るための怒りまで忘れちゃいけません。
その忘れちゃいけない怒りとは、「自尊心」を守るもの。
つまり、どうしても嫌なことや許せないことを誰かにされて、腹が立つという感情まで忘れてはいけないんですよね。
下記記事でもお話したとおり、怒りを完全に忘れた人間は、どんなに酷いことをされても大切な人を傷つけられても、ヘラヘラ笑ってやり過ごしているような状態になります。
モテる女性や自分らしく生きている人って、自尊心を傷つけられたときの怒りはきっちり相手に伝えているんですよ。
だからはっきりと、
と言います。
でも、自尊心を守れない人って、怒りを感じているのに封印してしまうんですよ。
「こんなことで怒っちゃいけない」って。
そもそも、「こんなこと」って主観でしかありませんし、何に対して怒るかは自分が決めることです。
だから、「絶対にされたら嫌なこと」や「絶対に許せないこと」は自分で考えて決めておかないといけないし、その一線を超えてきた相手に対して怒りを封印していると、自尊心がどんどん低下します。
そして、自尊心が低くなる人は傷つけられたときに、次のように考えます。
自分が我慢すれば
済む話しだし。
これ、実は非常に危険です。
なぜなら、たとえ小さな我慢でも、積み重なってきたら大きな我慢になるんですよ。
そして、自分でも何に我慢しているか分からなくなってきて、最終的に爆発する。
つい我慢してしまうという人は、このような経験が多いのではないでしょうか。
「自分が我慢すれば」という状態は、爆発へのカウントダウンが始まっていると思った方がいい。
ただ、爆発するだけまだましで、その大噴火さえも制御してしまったら、少しは残っていた自尊心がさらに低下して、地の底ぐらいまで低くなるんですよ。
実際、カウンセリングをしている中で、相手の男性にめちゃめちゃ酷い目に遭わされてるのに、「怒りを感じない」という女性が何人もいらっしゃいました。
彼女たちに、「最初は嫌だな、許せないなと思ってませんでしたか?」と聞くと、必ずといっていいほど「はい」と答えられるのですが、前述した小さな我慢を積み重ねてきた結果、自尊心が低下してしまったわけです。
この状態から回復することはできますが、見失った自分を取り戻すにはやはり時間がかかってしまうので、そうなる前に自尊心を傷つけられたときの怒りはちゃんと感じた方がいいです。
今腹立つこと言われた!
いや、でもこれぐらい我慢すればいいか
ではなくて、
今腹立つこと言われた!
めっちゃ腹立つんだけど!
が、正解なんです。
一瞬でも自分の頭に浮かんできたことって、「既に自分はそう思っている」ということじゃないですか。
どれだけかき消そうとしても、既にそう思ったという事実を認めてないだけで、きっちりと思想してるんです。
とくに、怒りや悲しみを「こんな風に思っちゃいけない」とかき消そうとする人は、行き過ぎるとメンタルがやられます。
そういった人がうつ病になることは珍しくなくて、感じた怒りを素直に表現している人って、きちんと発散してるんですよね。
それが、傷つけてきた相手に直接怒りをぶつけている人もいれば、
ちょって聞いてよ!
今日うちの上司に
めっちゃ酷いこと言われたんだけど!
アイツ死ねばいいのに!
と友達や恋人に愚痴ってる人もいます。
愚痴も言ってはいけないと思っている人がいますが、言うのがいけないのではなく、ずっと言いっぱなしなのがよくないだけです。
「愚痴ってすっきりした!」とならず、延々に言い続けるのがダメなだけなんですよね。
なので、自尊心を傷つけられたときの怒りは「絶対に」封印しないこと。
「自分は怒ってるんだ」ときっちり認識して、ちゃんと発散してください。
枕に顔をうずめて叫んだっていいし、紙に怒りを書きなぐってもいいんです。
自分を守るための怒りをなくしちゃダメですよ。
4・復讐してはいけない
これ、先ほど上げた記事にも書いていることなのですが、日本人の多くが「復讐してはいけない」と思ってるんですよ。
その割に、半沢直樹の続編が高視聴率だったので、それだけ世の中には「復讐したいけどできない」と思ってドラマに復讐している自分を投影している人が多いのかなと感じました。
これは人によりますが、自分らしく生きてる人って、復讐はちゃんとする人が多いような気がします。
愛の不時着でセリも、
私、お礼と復讐は
きっちりするタイプなの。
と言ってますし、何よりやられっぱなしで黙っていると、舐められるからやり返すんです。
「復讐したらいけない」と思っている人の多くが、「因果応報で自分に返ってくるから」と思っているのですが、「相手と同じになるから」と思っている人も結構多いんですよね。
因果応報論は、前述した記事に書いたとおりですが、基本的に復讐しない方がいいときって次のようになります。
-
- 1・復讐したことで自分の価値が下がる
-
- 2・復讐したことで自分の立場が悪くなる
同じような意味ですが、「1」に該当するのは、たとえばTwitterでの悪意あるリプライ。
そのリプライに腹が立ったからといって、その相手を貶めようと感情的になって反撃ツイートをし、「この人子どもだな」と思われるケースがそれに当てはまります。
ようするに、反撃の仕方が賢くないし、人格を疑われるような言葉を使うからよろしくないんですよね。
「2」のケースは、復讐したことで職場での立場が悪くなり、降格になったりクビになったりするというもの。
もちろん、それを覚悟の上でするならいいけど、「こんななると思わんかった」みたいになるんだったら、復讐しない方がいいです。
復讐するときって、いかに相手が報復する気がおきないぐらいにやり返すかを考え、徹底的に復讐前と後のシュミレーションをしないといけないので。
僕は復讐することを悪いことだと思ってませんが、なぜかというと、やられっぱなしでやり返さないまま泣き寝入りして困るのは自分なんですよ。
危害を加えてきた相手からも舐められるし、それを見ている周りの人からも舐められます。
周りの人の多くは、こう思ってるんです。
「あの人、何しても怒らないから、ちょっとぐらい○○しても大丈夫じゃない?」って。
逆に舐められない人って、
アイツ、怒らせたらヤベえから
気をつけよう。
です。
だから、
でいいんですよ。
ただ、言うまでもなく、やり返すときは、自分を傷つけられたり裏切られたりしたとき限定です。
相手が何もしていないのに、気に入らないからといって危害を加えることは、復讐じゃなくてただの逆恨みです。
とはいえ、復讐という言葉に抵抗がある人は、「戦う」と考えるといいのではないでしょうか。
自分の城は自分で守らないと、誰も守ってはくれませんからね。
【自分の尊厳とプライドを守る方法】
とはいえ、最高の復讐は「傷つけてきた相手よりも幸せになること」なので、その点はお忘れなく。
個人的には、やり返してさらに相手より幸せになることが、一番の復讐だなと思っています。
5・許さないといけない
「許せない人を許しましょう」と言う人がいます。
こういう崇高な理論を唱えている人がいるせいで、「許さないといけない思考」になっている人がかなり多いんですよ。
そしてその結果、次のようになることは珍しくありません。
許せないことをされた
「許さないといけない」と考える
許せない自分が悪いんじゃないかと考える
誰かに許せないことをされて、許すか許さないかは自分が決めることなんですよ。
第三者がとやかく言うことじゃありません。
どれだけ周りの人間が、「もういいじゃん許してあげなよ」と言ってきても、「それでも許せない」と思ったら、それが自分なんですよ。
それだけ、許せないことを相手にされたのだから、その痛みは本人にしか分かりません。
実は、許す許さないってもっと後の話しなんですよ。
まず「乗り越えること」が大切なんです。
STEP1
許せないことをされた
STEP2
ちゃんと怒りを感じて前に進む
STEP3
乗り越える
STEP4
許すか許さないかを考える
何も乗り越えてないのに、許せない相手を許せるわけがないんですよね。
「許さないといけない」と考えている人は、許しにとらわれている状態になるので、なぜ自分が許せなくなったのかに目を向けられなくなっていることがよくあります。
そして、許せてないのに許した気になっている人も多いのですが、発言の節々に「許せてないワード」がちょいちょい出てくるので、「許してないな」って分かります。
それから、許しにとらわれている人って、「許す=その相手を好きになる」と混合していることがよくあって、「許す・許さない」「好き・嫌い」をごちゃ混ぜにしてるんですよね。
許したからといって好きになるわけじゃないし、許せないからといって嫌いというわけでもありません。
断言しますが、どうしても許せないことをされているのに、簡単に許しちゃいけません。
だから、自尊心が低くなるし、搾取されやすくなるんです。
怒りや悲しみ、そして悔しさをバネにして前に進み、乗り越えたとき、実はほとんど許せた状態になっているんですよ。
このように。
昔のことだし、もうどうでもいいけどね。
でももしアイツに会ったら、
一発ぐらい思いっきりぶん殴りたい
乗り越えたあとに、許すか許せないかを考え、その上で許せないんだったら別にそれでいいんですよ。
それだけ酷いことをされたということなので。
何も折り合いがついてないのに「許さないといけない」と思っている人は、次の事実を忘れないでください。
アンタ、神様でもお釈迦様でもないから、いきないそんなんしようとしても無理やで?
僕たちは血の通った普通の人間なので、怒ることもあれば悲しむこともあるんです。
許すことにとらわれすぎて、自分を見失わないようにしてください。
6・比べてはいけない
物は比較してもいいのに、なんで人は比較しちゃダメなんでしょうね。
きっと、優劣つけたらダメと思ってる人がいるからだと思います。
たしかに、人に優劣をつけるのってよくないことなのかもしれません。
でも口に出して言わないだけで、僕たち人間はしっかり優劣つけて人を選んでいます。
会社だって優秀な人材を雇うし、恋愛でも総合値が高い人が選ばれます。
アスリートだって、厳しい練習に耐えて結果を残した人が称賛される。
どれだけ声高々に「人間を比べてはいけない」と言う人がいても、比較されるのが現実なんです。
というか、比較してはいけないという人の中には、自分が劣っているとどこかで感じているから「比べんなよ!」と思っている人も多く混じっているのではないでしょうか。
ただ、生まれや育ち、容姿など変えられないものに優劣をつけるのはよくないと思います。
あと、その人自身が生きるためにやっている仕事や楽しんでいる趣味などもそうですね。
逆に、努力次第で変えられるものに優劣がつくのは、しょうがないと思っています。
何の努力もしてない人が、「比べんなよ」と言ったところで、優劣をつけられて比較されるのが現実なわけですから、「それが嫌なんだったら頑張れば?」となりますからね。
とはいえ、どんな人が優秀でどんな人が劣っているかなんて、場所と接する人間が違えば逆転することなんて往々にしてあります。
それに、「このジャンルで優秀でいたい」というものが明確になっていなかったら、しなくていい努力をする羽目になってしまいます。
人も比較対象があるからこそ、指針ができるわけじゃないですか。
だから、自分から見て優秀な人に対し「あの人みたいになりたい」と思うわけだし、反面教師を見て「ああはなりたくない」と思えるわけですから。
良い物を持てば物の価値が分かるのと同じで、恋愛も本当の意味でイイ男と付き合ったら、その男性が基準になるので、しょうもない男性を選ぶことがなくなります。
でも、人も物も比較対象が少なくなるほど、自分が経験して知っていることしか基準にならないんですよね。
人と比較することは、生き方や在り方の指針を決めるために必要なこと。
そして、一緒にいる人間を選ぶためにも必要なことなんです。
あと、人と自分を比べて自信をなくすことがよくある人は、「比べたらいけない」と思わないでください。
むしろ、「比べてしまうのはしょうがないから、どうやったら自信がつけれるか?」を考えてみましょう。
勝てる土俵を見つけて極めていくにつれ、人と比べることがなくなってくるから大丈夫。
【勝てる土俵の見つけ方】
ちなみに、「人間のレベル論」を公開したときも、書籍版レベル論が発売されたあとも、「人間を階層分けするのはどうかと思う」という意見が結構多かったんですよ。
勘違いしている人がいまだに多いようだけど、
人間を階層分けしてるんじゃなくて、人間の幸福レベルを階層分けしてるのがレベル論やで?
【重版6刷目!】
7・人に迷惑かけてはいけない
無理です。
絶対に無理です。
だって、生きてたら誰かに迷惑かけることだってあるし、というか、生きてる限りは誰かに必ず迷惑をかけています。
そもそも論なんですが、迷惑と感じるかどうかってこっちで決めることじゃなくて、「相手が決めること」であり「主観」なんですよ。
「こんなこと頼んだら迷惑かな」と思っていたこお願いが、全然迷惑じゃなかったということもあれば、「これぐらいなら言うこと聞いてくれるでしょ!」と思っていたお願いが、ものすごく迷惑だったということもありますからね。
でも、人にできるだけ
迷惑をかけたくない・・・。
という方もいらっしゃるかと思います。
では、どういう基準でいればいいのかというと、このようになります。
-
- 1・不義理しない
-
- 2・不誠実なことはしない
-
- 3・人を故意に傷つけない
一つずつ、解説させていただきますね。
1・不義理しない
約束を守り、礼儀を欠かさないことです。
約束を破ったら困る人がいる、礼儀を欠くと不愉快になる人がいる、といった状況のときですね。
2・不誠実なことはしない
嘘をついたり、筋が通らないことはしないことです。
保身のためについた嘘で誰かが被害を被る、筋が通らないことをして不快に感じる人がいる状況のときです。
3・人を故意に傷つけない
「2」と重複してるように見えますが、これはどちらかというと、何もしてない相手に酷いことを言わないことです。
感情任せに暴言を吐く、気に入らないからと悪口を言うなどが該当しますね。
以上、3つのことを心がけていれば、迷惑の基準が明確になるのではないでしょうか。
つまり、「私はちゃんとしてますし、変なことしないですよ」という前提ができていれば、お願いもしやすいですし、相手からしても「この人の頼み事は迷惑なんだよな」とは思わないです。
でも、お願い事を人にあまりしないから
どうしても頼みにくい・・・。
そう考える人もいらっしゃるかと思います。
では、このように考えてください。
と。
基本的に迷惑がられる人って、前述した3項目のどれかに該当している上に、やってもらって当たり前に思っているし、恩も返してくれないんですよ。
だから、迷惑がられるんです。
そうじゃなければ、お願いをして迷惑に感じる人はほとんどいないのではないでしょうか。
もしいるんだとしたら、その人があまりにも余裕がないか、元々の器が小さいだけです。
先ほどお話ししたように、人は生きている限り誰かに迷惑をかけていますし、1人で生きることはできません。
なので、「迷惑をかけてはいけない」ではなく、
迷惑かもしれないけど、
誠実な自分でお願いして、
してもらったことは忘れず、
ちゃんと恩返ししよう。
というように、考えてみてはいかがでしょうか。
8・感謝しないといけない
これは、下記記事の中でお話しましたね。
内容が重複する部分が多いので、割愛しながらお話しますが、「感謝は湧き上がってくるものであり、強制されてするものではない」ことを、まず忘れないでください。
はっきり言いますが、人生が上手くいってないのに「すべての物事に感謝しましょう」とか言われたって、無理です。
もっと言うと、SNSで「すべての出会いに感謝です!」と言ってる人たちは、そういう自分に酔っているか、「感謝しなければいけない」という前提があるからそうしているだけです。
感謝ってしみじみした「ありがたいなあ」という気持ちですし、本当にいろんな物事に感謝している人は、感謝している自分が当たり前なので、いちいちSNSで言いません。
それに、よく考えてください。
すべての物事に感謝できる人。
すべての出会いに感謝できる人。
どんな聖人君子やねん。
って思わないですか?
「じゃあ、ゴキ○リにも人殺しにも感謝できるんですね!すごいですねっ!」ってなりますから、そもそも「すべて」と言ってしまっている時点でおかしいんですよ。
ということは、感謝できることにだけ、感謝すればいいわけです。
大して感謝できないことにまで感謝しようとするから、苦しくなるんですよ。
人って、思ってないことをずっとやり続けると負担に感じるのは当然ですからね。
とくに人生が上手くいってない人がしないといけないのは、感謝することが先じゃなくて、まず自分の状態を良くすることなんです。
感謝って、自分の状態が良くなって余裕ができてから、周りを見渡せるようになってようやく生まれるものでもあります。
余裕もないし、視野が狭いときに色んなことに感謝しようと思ってもできないんですよね。
なので、感謝はしないといけないものではなく、「湧き上がってくるもの」であり、上手くいってないときは「できないもの」でもあることを忘れないでください。
以上になります。
1・見下してはいけない
-
- 危害を加えてくる相手限定で見下す
2・ネガティブはいけない
3・怒りはいけない
4・復讐してはいけない
5・許さないといけない
6・比べてはいけない
7・人に迷惑かけてはいけない
8・感謝しないといけない
前半でお話したように、人が幸せになるにはいくつもの成長段階がありますし、ときして悪にならないと自分を守れないことが多くあります。
その成長段階において、この捨てておきたい8つの固定観念は、生きやすさを得る上での考え方として非常に有用なものだと思っています。
今回お話した8つの固定観念を解除せず、生きづらさを抱えている状態で実践するのは、かなり難易度が高いです。
実はこれらの固定観念の元になっている理論は、生きやすさを手に入れ、人格が高まってきてからようやく、腑に落ちるものでもあるんですよ。
つまり、「いきなり崇高理論を実践しようとしても、腑に落ちてないから無理やで?」ってことなんです。
腑に落ちてたら、「人を見下してはいけない」という理論も、次のように解釈するわけです。
今まで危害を加えてくる相手のことは見下してたけど、
そいつらにも、そうせざるを得ない事情があったのかな。
もうちょっと相手を理解するように努めてみるか。
というように。
今まで8つの固定観念のどれかに縛られて生きづらさが消えなかった人は、だまされたと思って、一度真逆の考え方を取り入れてみてください。
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