【根はいい人?】悪人が特定の人を大事にする心理。【やっぱり悪い人?】
withonlineで123回目のコラムがアップされました。
今回のテーマは、「一個人として認識させることの重要性」について執筆しました。
コラムの中でも触れていますが、好きな男性の本命になれず、深い悲しみを抱えている女性の多くが、相手から「人扱いされていない」という悲しい現実があります。
この人扱いというのは、一個人として自分の存在を相手に分からせるということなんです。
自分がどういう人間かを開示し、自分の意見や考えを相手に言う。
これらの行為を繰り返し行うことで、
この子はこういう女性で
こういう考え方なんだな。
と相手に認識されるということです。
しかし、相手から人扱いされない女性の多くは、自己開示もしないし、自分の意見や考えも言いません。
思っていることを言えないし、聞きたいことが聞けないでいるから、相手には
何も言ってこないし
このままでいいんだ。
という前提ができてしまうわけです。
これは恋愛に限らず仕事でもプライベートでも共通して言えることですが、嫌なことをされたり言われたりしたら、はっきり断ることができないと、相手はどんどん調子に乗り続けます。
仕事だったらどんどん雑用を押し付けられたり、友達関係だったら限度を越えた頼み事をされたり。
なので、一個人として自分の存在を相手に認識させるのって、めちゃめちゃ大切なことなんですよね。
もちろん、一個人として認識されたからといって、必ずしも受け入れてもらえるとは限りません。
ですが、できるだけ早く認識されることで、合わない人間や望まない人物との交流を断ち切ることができるので、お互いが時間を無駄にせずに済むわけです。
そういえば先日、「ヴィンチェンツォに学ぶ!冷酷さのススメ」という記事を書いたのですが、思っている以上の反響がありました。
「復讐するのはよくない」とは言うくせに、「復讐してもいい」とは言わないので、多くの人がフラストレーションを抱え込んでしまっていたんですね。
この記事をご覧になった方から、
自分の気持ちを肯定されたようで
すごく救われました!
というご意見をいただくことも多かったので、それだけ「やり返したい」という気持ちを我慢している人がいらっしゃったんだなと思いました。
久しぶりに、
誰もビビって言わへんことを
代わりに言うたったで!
という内容を書いたので、ご興味がおありの方はぜひ読んでいただきたいのですが、この記事をご覧いただいた方の中には、次のような疑問を持った方もいらっしゃるかもしれません。
すごい極悪人なのに、
家族とか恋人は大事にする人がいるけど、
これはどうしてなんだろう?
たとえば、悪徳政治家だけどプライベートでは孫を溺愛していたり、極悪非道な反社の人が、家では家族を大切にしていたり。
ドラマとかを見ていると、こういう場面はよく描かれていますよね。
どんな大悪党でも、大事にしている人がいると分かると、
もしかすると
この人はいい人なのかもしれない。
と思ってしまうのですが、そうじゃないんですよ。
そんなわけで今回は、「悪人が人を大事にする心理」について、お話させていただきます。
人は何人もの自分を持っている。
僕たち人間は、いくつもの自分を持っています。
どういうことかと言うと、仕事をするときの自分、友達といるときの自分、恋人といるときの自分、家族といるときの自分というように、いくつもの自分が存在しているんですね。
「どんな場面でも自分を絶対に変えねえぜ!」という人の方が少ないですから、ほとんどの人が場面に応じて出す自分を変えています。
もちろん、自分らしくいるためには、どんな場面でもできるだけ出す自分を変えない方がいいのかもしれませんが、出す自分を変えないってこういうことなんですよ。
仕事上でしか付き合いがない人にタメ口で話したり、大して仲良くない人に自分のプライベートを洗いざらい話したりとか、出す自分を場面に応じて変えられない人は、デリカシーがなく、人との距離感がおかしい人間になってしまいます。
なので、デリカシーがない人間に思われないように、人との距離感を正常に保つためには、場面に応じて出す自分を変えないといけないわけです。
そうやって、日常のあらゆる場面や人間関係を通じて、人は「残したい自分」を決めていきます。
それがたとえ、後から黒歴史確定になる自分だったとしても、そのときの本人は、残したい自分が最高のものだと思いこんでいますから、未来で後悔するとか分からないんですね。
分かりやすく言うと、
尖りまくって
先輩に楯突いて
生意気なことばっか言う
俺って最高だぜ!
とか、
どんな人にでも
正論をバシバシ言える
私って超かっこいい!
みたいな。
多くの場合前者は、人に対してまったく敬意がなかったことを後になってから後悔するし、後者は、人の気持ちが分からずに傷つけてしまったことに対して後悔する日がいつかやってきます。
でも、こういった黒歴史という経験があるからこそ、
あのときの自分は
痛かったな…。
あのときの私は
最低だったな…。
と後悔することができるのです。
そして、「もうあのときの自分には二度と戻りたくない!」と決意し、その自分を封印して出さないようにします。
ただ、中には引っ込みがつかなくなって、そのまま暴走してしまうというケースもあります。
なぜこのような状態になるのかと言うと、こういうことです。
なんか周りから人が離れていってる気がするけど、誰も注意しないから、このままの自分で居ていいのか分からない。
かと言って、ここから違う自分を出すのは、今までの自分を否定することになるからそれはできない。
だからこのままで行くしかないし、もうしょうがない。
そうすると、周りから迷惑がられる痛い大人が完成するというわけです。
とはいえ、完全に人から拒絶されるかと言うとそうじゃなくて、尖りまくった人間や、誰も言わないことをバシバシ言う人間に憧れや敬意を示す人たちは一定数いるんですよ。
自分がそうできないから、できる人のことが羨ましく感じるんですね。
ジョジョで言うとこのシーンがそれに該当します。
厄介なことにそういった支持者ができてしまうと、
と勘違いしてしまうので、それがさらなる暴走に拍車をかけてしまうというわけです。
多くの場合、どんな極悪人にも味方をしてくれる人間がいるのは、憧れや敬意を示した支持者が少なからず存在するからなんですね。
生きていくために残す自分を黒くした人たち。
これは僕が会社員だった頃の話です。
僕は通信関係の会社に勤めていたのですが、出向した先がとある家電量販店だったんですよ。
この家電量販店、昇格して立場が変わった人の多くが、パワハラ気味になるんです。
あるとき、従業員通路を歩いていると、僕が勤務していたエリアのマネージャーが社員を土下座させていたんですね。
元々怖い人だと思っていたけど、そこまでするかと思って驚いたことを覚えています。
この話を仲が良かった先輩にすると、
あの人、昔はそんなんちゃうかってん。
いつもニコニコしてたし、
頼れる兄貴みたいな存在やったんやで。
マネージャーになってからおかしなったわ。
と言われたので、さらに驚きました。
他にも、この量販店の副店長だった人が、店長に昇格してからしばらくすると、何かあるとすぐ怒鳴り散らす人間に変貌しというケースもあります。
前述したマネージャーのように、元々はニコニコしていてみんなから慕われる存在だったのですが、店長に昇格してからおかしくなりました。
なぜ、このようになってしまったのかと言うと、これは憶測でしかありませんが、上からの圧力が大きかったのではないかと推測します。
つまり上の人間から、
生っちょろい教育はやめろ!
だから社員がたるむねん!
もっと怒らんと舐められるぞ!
みたいなことを言われたんじゃないのかなと思うんですね。
でも、元々怒り慣れてない人にとって、怒る従業員指導とかめちゃめちゃハードルが高いわけです。
それでもやらないと、自分が上の人間から怒られる。
だから、怒る教育をせざるを得ない。
その結果、彼らは変わってしまったんじゃないかなと思いました。
実際、マネージャーも店長も、昇格してから日に日に目がおかしくなっていき、マネージャーに関しては、実家に帰って農業を営む結果となりました。
マネージャーが退職する日、彼の顔を最後に見たのですが、今までに見たことがない穏やかな顔をしていたので、これがこの人の本当の顔なんだろうなと勝手に思ってたんですね。
今回のブログに則って言うのであれば、このマネージャーも、店長も、生きていくために出す自分を黒くしたのではないか?というのが僕の見解です。
彼らに限った話ではありませんが、生きていくために出す自分を黒くせざるを得なかった人たちって、沢山存在するんですよ。
それは、一般の仕事だけに限った話ではありません。
「食いっぱぐれることがない国」と言われる日本なのに、生きていくために犯罪に手を染めないといけない人間が一定数存在するのです。
なぜそのような状態になるのかと言うと、親がネグレクトや虐待を行い、さらに親子との関わりを放棄した結果、身分証を持てない子どもが誕生してしまったからです。
そんな子ども、
本当にいるの?
と思われた方は、ぜひギャングースという漫画を読んでいただきたいです。
内容はフィクションではありますが、「実際にこういう子どもたちがこの日本に存在する」ということを描いた作品なので、生きていくために出す自分を黒くせざるを得なくなった人間が、どういう葛藤の中で生きているのかも鮮明に描かれています。
ちなみに、実話を知りたい方はギャングースの原作者である鈴木大介さんの著書「ギャングースファイル:家のない少年たち」がおすすめです。
その中で、とある少年の印象的な台詞があるのですが、それが次になります。
「俺、『クローズ』って漫画嫌いなんですよ。
不良、不良って、高校に通えてるヤツが不良とか意味わかんねーし。
俺ら高校行くとか考えたこと一度もないし、そういう選択肢ないじゃないですか。不公平だなって。」
親の庇護のもと悪さができるのと、誰も守ってくれないし身分証もないから悪さをするしかないのとでは、大きく違いますからね。
なので同じ悪党でも、そうせざるを得なかった人と、そうしなくても良かったのにそうした人がいるというわけです。
悪人が人を大事にする心理。
ここからが本題です。
「ヴィンチェンツォに学ぶ!冷酷さのススメ」の中で、「善良な自分と冷酷な自分を、接する相手によって変える」ことをお話しました。
これは、普段が善良な人に向けてのメッセージになりますが、実は、悪人が人を大事にするときは逆の現象が起こっています。
つまり、普段は悪い人間だけど、特定の人物に対しては善良な自分を出しているということです。
その善良な自分を出す相手に対してだけ、その人物を一個人として人扱いするというわけですね。
余談ですが、サイコパスと呼ばれる人種には、良心や罪悪感、人を愛する感情も無いので、誰かを人扱いすることはありません。
ヴィンチェンツォに登場するチャン・ハンソクは劇中でも証明されている、れっきとしたサイコパスです。
彼が善良な自分を出すときは、利用価値があるからそうするだけであって、そこに愛はありません。
しかし、どんな大悪党でもサイコパスでなければ、良心や罪悪感が一般の人よりも欠如しているとはいえ、誰かを愛する気持ちはちゃんと持っています。
もしかすると、良心や罪悪感が欠如しているのではなくて、特定の人に対してだけは、欠如していると思われた善良な部分が突出するだけなのかもしれませんね。
「この人の前でだけはまともな人間でいたい」
「コイツだけには嫌われたくない」
「この人まで裏切ったら自分は人として終わりだ」
みたいに考えるんだろうと思います。
前述したように、どんな大悪党でもサイコパスじゃなければ良心や罪悪感はあります。
だとしたら、悪い自分で居続けることに対しての、やましさや葛藤が少なからずあってもおかしくはないですよね。
だって、悪い自分でいることに抵抗がなければ、大事にしている人に自分がしていることをすべて開示できるはずです。
それをしないのは、
自分がやっていることを
この人にだけは知られたくない。
という後ろめたさがあるからです。
では、そんな悪人たちが、どういう人物を大切にしたいのかと言うと、その人たちにとっての「裏切ったら罰が当たりそうな人」です。
参照記事:「この子を裏切ったら罰が当たる」と思われる女性の特徴を教えてやんよ。
これは、「この人の前でだけはまともな自分でいたい」と思える人のことでもあります。
つまり、悪人が大事にしている人というのは、唯一自分を正常に戻してくれる存在でもあり、人としての自分を好きでいることができる存在でもあるということです。
「じゃあその自分を他の人に対しても出せばいいのに」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、多くの場合、悪人にとって大事にしたい人以外の存在は、ただの使い捨てのコマであり、最初から人扱いはしていません。
そして、一度悪事に手を染めてそれで味をしめてしまったら、そこから抜け出すことは難しいです。
なぜなら、たとえ人から後ろ指さされるような悪事であっても、それで沢山のお金や刺激的な快楽を得ることができたら、今さら善良な生き方を選ぶことが馬鹿らしくなるからです。
それに、前述した身分証がない子どもが大人になったら、善良な道を選びたくてもそれができないんですよね。
さらに、これは悪人に限った話ではありませんが、付き合わずして身体だけの関係を続けるような男性にも同じことが言えます。
彼らの多くは、関わっている女性のことを最初から人扱いしてないし、一個人として認識した時点で離れていくと下記記事の中でお話しました。
【セフレ】ヤリ目男の生態と、彼らの心理と傾向を教えてやんよ。【不倫】
多くの場合、彼らは付き合わなくてもセックスができるという行為にすでに味を占めていますから、身体だけの関係の女性と付き合うということは、悪党にとっての善良な生き方を選ぶことと同じなんです。
ヤリ目男にも、彼女や奥さんがいたりするわけですが、じゃあ彼らがパートナーを大切にしているかと言うと、必ずしもそうじゃないんですよね。
パートナーに対して、逃げたい、飽きた、もう嫌だなどの気持ちを抱いての浮気というケースも沢山あるので、「付き合ってるから」「結婚しているから」と言って、大事にしているわけではありません。
大事にするというのは、溺愛するということでもあるので、そもそも自分のパートナーを溺愛していたら特定の女性と肉体関係を続けないでしょうし、浮気することがあっても一夜で終わると思います。
以上が、悪人が人を大事にする心理ですが、彼ら彼女らは根がいい人だから、特定の人を大切にしているのではないと分かっていただけたのではないでしょうか。
厳密には、根がいい人だった時代もあったけれど、歪んでしまってどんどん悪い方向にいってしまい、悪い自分が定着したということです。
そんな人間でも大事にしたいと思える人がいるわけですから、その相手に対してだけは、いつもは封印している善良な自分を出すという感じですね。
最後にこれだけは言いたいのですが、悪人が誰かを大事にしようとするとき、善良な自分が出ているからと言ってそれが完全なる愛情だとは言えないんですよ。
どういうことかと言うと、人に愛された経験がない悪人ほど人の愛し方が分からないから、善良な自分を演じて好かれようとするんですね。
ほとんどの場合、悪人は擬態能力が高いですから演じることに抵抗はありませんし、「どうすれば人に気に入ってもらえるか?」という人心掌握術にも長けています。
そのテクニックと善良な自分を、大事にしたい人の前で出すというわけです。
ただ、たとえ大事にしている人がいるからと言って「根はいい人」にはならないし、優しい部分があったとしても、してきた悪事を帳消しにできるわけではありません。
そもそもですが、悪人はどこまでいっても悪人でしかないんですよね。
だから悪人と対峙したときに、ちょっと良いところがあるからと言って、「悪い人だけど根はいい人なはず」と考えるのは、大変危険であることをお忘れなく。
【withonlineのコラムはこちら】
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