自分らしく生きる上での、たった一つの大切なことを教えてやんよ。

withonlineで79回目のコラムがアップされました。

 

 

今回のテーマは「人生100年時代の幸せとは何か?」についてです。

 

「LIFESHIFT」が世に出てから、新たな人生設計の見直しをする重要性が各方面で説かれています。

 

さらに、もう何年も前からいわれている「近い将来、AIに人間の仕事が奪われる」という情報。

 

ちょっとこの動画をご覧ください。

 

 

これは、ハンソン・ロボティクス社が開発したヒューマノイドロボット「ソフィア」に関する映像なのですが、彼女が「人類を滅ぼすわ」という発言をしたことにより、物議をかもしだしました。

 

彼女の発言自体はたしかに恐ろしいものではありますが、僕はソフィアの存在をつい最近知って、別のことに衝撃を受けたんです。

 

こんなにテクノロジーが進化しとったんかと。

 

エクス・マキナの世界がもうすぐやってくるやないかいと。

 

 

しかも、AIロボットで初の市民権を獲得しているし、ソフィアは国連会議にも出席した過去があります。

 

「どうせ裏で人が言葉を操ってるんでしょ?」という無粋な意見はさておき、ここまでAIが進化しているとは思ってもみなかったので、最近日課になっている怪談動画を見たあとよりもある意味怖かったです。

 

何が怖いかっていうと、これから先はますます、自分の頭で考えられず、自分の意見を言わない人はどんどん取り残されてしまうのが目に見えているということ。

 

下記動画の中でも、ソフィアはウィル・スミスに対して皮肉めいた返しやジョークを交えて会話をしていますからね。

 

 

「人類を滅ぼす」という彼女の衝撃発言が話題になったのが2年以上前なので、今はさらに進化していると考えるのが妥当であり、「AIに人間の仕事が奪われる」という言葉がますます真実味を帯びてきたなと思いました。

 

しかも人生100年時代。

 

きんさんぎんさんが100歳で元気に過ごしていたことが珍しかったのはもう過去の話しで、ほとんどの人たちが彼女たちのように長生きする世の中が今やってきたわけです。

 

残りの人生にただ生きづらさを感じたまま過ごすのか、それとも精一杯謳歌して生きるのか。

 

それは僕たち人間が選択できることです。

 

どうせなら、さんまさんが言うように「笑って死にたい」じゃないですか。

 

これから先、どんな仕事がなくなってどんな仕事が増えるかなんて、そのときになってみないと分からないことのほうが多いけれど、僕たち人間は生き方を選ぶことができます。

 

その上で、どんな生き方を選ぶことが幸福につながるのか。

 

今回のブログでは、その点について掘り下げたいと思います。

 

自己改革とか自己啓発も大事だけど、それよりも大切なことがある。

    • 自己肯定感が低い・・・。
    • 自分に自信が持てない・・・。
    • 自分らしく生きることができない・・・。

 

生きづらさを感じている人の悩みの根本は、この3つに凝縮されるといっても過言ではありません。

 

アルフレッド・アドラーは、「人間の悩みのすべては対人関係にある」と説きましたが、たしかに比較する対象がいなければ、人が悩むことってないんですよね。

 

たとえば、生まれてから自分一人しかこの世界にいなかったのだとしたら。

 

病気になっても、モヤモヤすることがあっても、「こういうもんかな?」で終わりです。

 

しかし、そこに比較対象である誰かがいることで、「元気な人がうらやましい」「悩みがなさそうでうらやましい」といった思いが出てくるわけです。

 

さらに、第三者の存在によって否定されたり、攻撃されたりすることもあるわけですから、かかわる人間の数が多くなるにつれ、悩みの数も比例するといっても過言ではないでしょう。

 

生きづらさを感じている人の中には、「もうこんな状態から抜け出したい!」と思って、自己肯定感の高め方や自信のつけ方など、書籍やネット上からあらゆる情報を仕入れることがよくあります。

 

「親との関係が生きづらさの原因かもしれない」と気づき、アダルトチルドレンに関する情報や、親とのかかわり方を調べる人もいらっしゃいますね。

 

その努力の甲斐あって、「だから自分は生きづらかったのか!」と気づいて道が拓けた人も多いのですが、どんなに沢山の情報を仕入れても、現実を変えられない人も中にはいます。

 

そして、自分ではもうどうすることもできないから、カウンセラーや臨床心理士さんの元に駆け込むケースも珍しくはありません。

 

それでも何も変わらない。

 

残念ながら、そういう人も中にはいらっしゃるんです。

 

「じゃあこういう人は、もう現実を変えることは無理だし、一生そのまま過ごす羽目になるのか?」と疑問を持った方もいらっしゃるかもしれませんが、そうじゃありません。

 

人間が自分らしく生きるために何が一番必要かと聞かれたら、僕は迷わずにこう答えます。

 

毎日楽しく過ごすことやで?

 

と。

 

この観点を忘れてる人がめちゃめちゃ多いと思います。

 



 

楽しく過ごすことを否定してはいけない。

もちろん、ただ毎日を楽しく過ごすだけでなりたい自分になれるのかというと、なれません。

 

僕が言いたいのは、自己肯定感を高める上でも、自信をつける上でも、自分らしく生きる上でも、大前提として「毎日を楽しく生きること」ができているのが絶対条件であるということです。

この大前提が抜けている状態で、なりたい自分になろうとする人があまりにも多いから、いざ目標を達成したのだとしても、満たされなさが一向になくならないんですよね。

 

しかもこういう人たちの中には、「もっともっと」と言わんばかりに、さらなる高みを目指そうとします。

 

そこまでストイックに自分を高めることができる人は、それはそれで素晴らしいと思うのですが、毎日を楽しく過ごしていない状態でどんな高みに到達したとしても、満たされることがないからエンドレスになってしまうんですよ。

 

すべてを叶えてすべてを持っていそうに見えるのに、実は不幸だったという人が存在するのは、そのためです。

 

さらにストイックな人ほど、休むことと遊ぶことの罪悪感を抱えている場合が多く、結果的に「楽しく過ごす」という観点から遠ざかっているケースがあまりにもよくあります。

 

「休んでる場合じゃない」「遊んでる場合じゃない」と常に思ってしまっているから、楽しい毎日から遠ざかってしまうんですね。

 

【頑張りすぎて疲れてしまう人たちへ】

 

もう一度言いますが、「毎日を楽しく生きること」が大前提なんです。

 

間違えてはいけないのが、なりたい自分になった後に、毎日が楽しくなるわけではないということ。

もっと厳しいことを言うのであれば、限られた時間や制限がある場所で楽しく過ごす努力ができない人は、どんな自分になっても毎日が楽しくはならないです。

 

楽しさと同じく、「自由」もそれは同じ。

 

お金があって時間にも縛られてなくて、どこへだって行けるのが自由なわけではありません。

 

限られた時間や制限がある場所で、「この中でどれだけ自由にできるか?」を考え実践できる人が、「自由な人」です。

言わずもがな、それは毎日を楽しく過ごしている人も同じです。

 

なので、「お金や時間がないから楽しくない・自由じゃない」「この場所だと楽しくない・自由じゃない」と、楽しめないことや不自由さをいつも何かのせいにしている人に圧倒的に足りないのは、「工夫」なんですよ。

 

限られたお金や時間、制限がある場所の中で「楽しむ工夫」「自由になる工夫」をしないから、何かのせいになってしまい、ないものねだりが生まれるんですね。

 

もちろん、お金も時間もあった方がいいし、場所に縛られないに越したことはないけれど、この2つの工夫ができない人は、すべてを手に入れても満足感を得られることがありません。

 

そもそもだけど、毎日が楽しかったら「自己肯定感」とか「自信」とか考えない。

見出しのとおりなんですが、毎日を楽しく過ごすことができていたら、自己肯定感の低さとか自信のなさとか考えません。

 

今このブログを読んでいる人の中で、「毎日が楽しかった時代はあったけれど、今はなんだか生きづらさが消えない」という人はいらっしゃいますでしょうか?

 

その方たちにお聞きします。

 

あなたが毎日を楽しく過ごせていた頃の自分を思い出してください。

 

そのとき、自己肯定感の低さや自信のなさ、生きづらさを考えたことはあったでしょうか?

 

少なからずあったという人もいらっしゃるかもしれませんが、おそらくほとんどの人が「考えたこともなかった」と答えるはずです。

 

毎日を楽しく過ごしていたら、「自己肯定感が高くていいよね」「自信があっていいよね」と誰かに言われても、「え?そうかな?そう見えるのか。あんま考えたことないけど」で終わりです。

 

だって、楽しいことが沢山あるのに、なんでいちいちテンションが下がることを考えないといけないんだと無意識に思ってますからね。

 

つまりその状態こそが、「自己肯定感が高い自分」であり、「自信がある自分」でもあるんですよ。

 

学術的には違うかもしれないけど、自己肯定感とか自信とか考えていない自分が当たり前だからこそ、誰かに言われてもピンと来ないわけじゃないですか。

 

勘違いしている人が多いですが、自己肯定感が高い人や自信満々に見えている人って、しょっちゅう自分で自覚しているわけじゃありません。

 

「俺って自己肯定感がたけえ~!」とか「私って超自信満々!」とか、常に思ってるわけじゃないんです。

 

むしろ、その状態が当たり前にあるから、自覚すらしていないことの方が多いですね。

 

「楽しさの精度」を追求した人がどんどん幸せになれる。

前述したように、ただ楽しい毎日を過ごすだけでなりたい自分になれるわけではありません。

 

そこで何が必要になるかというと、「楽しさの精度」を上げることです。

 

つまり、そのときの状況に応じて、やりたいことはやる、やりたくないことはやらないを貫いてやりたいことを増やしていき、やりたくないことを切り捨てていくことが「楽しさの精度」を上げることにつながります。

 

下記記事の中で、僕は会社員勤めをしていたとき、その仕事が嫌で嫌でしょうがなかったとお話しています。

 

【変わりたいのに変われない理由】

 

補足させていただきますと、嫌だったのは仕事だけで、それ以外のことは概ね満足していましたし、職場でもプライベートでも「楽しむ工夫」と「自由になる工夫」はかならず実践していました。

 

それでもやはり、どうしても仕事だけは楽しくなかったので、「やりたくないこと=当時の仕事」を切り捨て、「やりたいこと=今の仕事」に入れ替えるために、カウンセラーとして独立できるよう時間と労力を割きまくったわけです。

 

なりたい自分になった後に、毎日が楽しくなるわけではないと先ほどお話しさせていただきましたよね。

 

これ、大事なことなので繰り返し言わせていただきますが、多くの人が自分の理想どおりの人生を歩むことができれば、幸せになって毎日が楽しくなると勘違いしているんです。

 

分かりやすい例が、「お金持ちになったら幸せになれる」「結婚したら幸せになれる」というものです。

 

彼ら彼女らは、その幸せに付随して、毎日が楽しくなるはずと期待しているんですよね。

 

はっきり言ってしまい申し訳ありませんが、今を楽しむ工夫ができない人は、どんな自分になっても楽しい毎日を過ごすことはできません。

 

今がどんな状況であれ楽しむ工夫をし、どうしても楽しさが足りない部分を変えるために、時間と労力を惜しみなく使って未来を変えていく。

 

いつも楽しそうな毎日を送り人生を謳歌している人って、こうやって生きてるんです。

もちろん、自己改革とか自己啓発も大事だけど、それよりも大切なのは、「楽しめているかどうか」

 

まず、今現在をできるだけ楽しむ工夫と努力ができてこその、自己改革と自己啓発です。

 

この順序が逆な人がめちゃめちゃ多いんですよね。

 

「無駄なもの」と思い込んでいるものほど、楽しかったりすることがある。

「亜人」のワンシーンで、主人公永井圭に対して仲間が「終わったら祝杯をあげよう。お前にはそんな無駄が必要だ」と言う場面があります。

 

この台詞、なかなか深くて好きなのですが、「そんなの時間の無駄」と思っている人たちの多くが「その物事をやったことがない」か「かじった程度で終わってる」んですよね。

 

たとえばここに、「漫画なんて読むのは時間の無駄」と思っている人がいるとします。

 

こういう人に「なんで無駄だと思うの?」と聞いたら、「漫画なんて低俗な読み物だから」とか「ためにならないから」といった答えが返ってきます。

 

「じゃあどんな漫画読んだことがあるの?」と聞くと、大体が「読んだことがない」か、読んでいても児童向けの漫画で止まってるんですよね。

 

それはゲームも同じ。

 

とくにゲームは、ニュース等で「犯罪を助長する」と言われたり、著名人の中にも「ゲームなんて時間の無駄」と言う人が多かったり、ネトゲ依存が国際疾病としてWHOに認定されたりと、色々イメージが悪く思われがちです。

 

でも、漫画やゲームが大好きな人なら分かっていただけると思いますが、この2つのエンタメから学べることってめちゃめちゃ多いし、ハマったら時間を忘れてのめり込むわけじゃないですか。

 

「ハマりすぎてそれしかやらない」という依存状態がダメなのであって、行き過ぎるとワーカホリックになる仕事もそれは同じ。

 

もちろん、仕事をすることが無駄だと思っている人の方が少ないのは当然ですが、漫画とゲームに限らず、人それぞれ「そんなの時間の無駄」と思うものは違いますよね。

 

もしその物事をちゃんと体感したことがないのであれば、一度はその世界に触れてみることをおすすめします。

 

僕自身、ニコ生で陰キャであることを告白していますが、まだ陽キャを気取っていた頃は大概の遊びを経験した上で、今に落ち着いていると思っています。

 

なので、ちゃんとその遊びに飛び込んでみてから、向いてるか向いてないかを判断してるんですよね。

 

一例を出すと、僕はあまり人混みや騒がしい場所が好きではありませんが、それでもクラブイベントは何度か行ったことがありますし、実際に踊って、なんだったら泡パにも行って、VIPルームにも行ったその上で、「向いてないな」と思いました。

 

このように、実際に体験したことで「あまり楽しめない」と思ったら、それでいいんですよ。

 

そうやって自分が楽しむための可能性を一つ一つ探していると、楽しむ基準の統計が出来上がるからです。

 

だから無駄な経験ってないんですよね。

 

ちなみに、なぜかウィンタースポーツの代名詞であるスノボだけはしたことがないけれど、過去に中学校の行事でスキーは数回したことがあり、すごく楽しかった印象しかないので、生きている間にスノボはするだろうなと思っています。

 

それに、大の運動嫌いだった僕が、個人でできる筋トレや有酸素運動はできるので、何にハマるかはやってみるまで分からないですよ。

 

技術が伴うものは楽しめるまで時間がかかる。

人生100年時代を謳歌する上で、個人的に必ずあった方がいいと思っているものが「趣味」です。

 

「趣味を持とうぜ!」と強制するつもりはないけれど、実際問題、趣味があるかどうかで人生の豊かさが変わるのは紛れもない事実なので、あった方がいいのは間違いないでしょう。

 

ただ、同じ趣味を持つにしても、技術が伴うものに関しては、どうしても「楽しい」と思えるまで時間がかかります。

 

むしろ、上達するまでは苦行でしかない場合も多く、楽しいと思える段階にいくまでは「絶対に上達してやる」といった負けん気や、上手くなっている自分をイメージすることが必要になることは否めません。

 

またまた僕の話で恐縮ですが、実は14歳でギターを始めたとき、1ヶ月半で挫折してるんですよ。

 

「全然弾けへんやん!なんやこれ!」って。

 

でもそれから半年後、なんだかもう一度練習してみたくなって、そこからギターを再び触り始めてからというもの、どんどんハマっていきました。

 

現役を退いてから数年は弾いてませんでしたが、この仕事をやり始めてから、「なんだか弾きたいなあ」と思い、練習を再開。

 

その結果、現役時代はまったく弾けなかったソロが弾けるようになったり、表現力に拍車がかかったりと、皮肉なことに音楽をやめてからの方が上手くなりました。

 

 

この曲をコピったときがピークだったと思うのですが、最近は全然練習してないからさすがにもう弾けません。

 

またギターを弾きたくなるときが来るのは分かっているので、今は無理に手を付けていませんが、音楽をやめた今でも楽器は一生モノの趣味だなと感じています。

 

別に、「どう?俺これだけギター弾けるねんで!すごいっしょ!」と言いたいわけではありません。

 

嘘です。ちょっと言いたいです。

 

じゃなくて、技術が伴う趣味は、どうしてもある程度上達してからじゃないと楽しめないのですが、最初の苦行を乗り越えさえすれば、一生モノの趣味に化けることがかなりあると言いたいんですよ。

 

それは楽器だけじゃなくて、文章も、イラストも、作曲なども同じです。

 

当たり前の話しなんですが、どれだけ技術に長けた人でも、みんな素人の時代があるわけですよ。

 

ただ、技術が伴うものほど、素人時代は「下手すぎて自分が嫌になる」という状態に陥ってしまうことがよくあるので、ある程度上達するまでに挫折してしまう人が少なからずいるんですよね。

 

とくに、周りにテクニシャンがいると、その人と比べてしまって自信喪失に拍車がかかってしまいます。

 

だけど、「なんとなく」でも「どうしても」のどちらでもかまわないので、少しでも「やってみたい」という気持ちが残っているのなら、その物事に対して踏ん張って続けてみてください。

 

それでも「無理だー!」って思ったら、一度諦めてもかまいません。

 

もしかしたら時間が経ってから僕のようにもう一度再開するかもしれないし、しないかもしれない。

 

このときも、「どうせ練習しても上手くならないだろうな」とか余計なことを考えずに、「やりたいかやりたくないか」で選ぶことがポイントです。

 

もちろん、技術を向上させることだけが趣味の楽しみ方ではないけれど、技術がないと楽しめない場面が出てくることは確かなので、ある程度のテクニックはあった方がいいですね。

 

なので、技術が伴う趣味に関しては、ある程度上達してからが本番。

 

初心者を抜け出すと今までの苦行が嘘のように報われるので、今現在、技術が伴う趣味に手を付ける前の人も、付けている最中で心が折れそうな人も、「やってみたい」という気持ちが残っている限りは続けてみてください。

 



 


以上になります。

 

冒頭でお話したように、たとえ人生100年時代であっても、AIに仕事が奪われる世の中になったとしても、「どう生きるか?」は僕たち人間が選択できます。

 

そして、どんな世の中になっても、「できるだけ毎日を楽しく過ごすこと」を心がけていれば、楽しいことがある限りはまだ死ねないと人は思うので、ちゃんと立て直すことも可能です。

 

自己肯定感を高くする。

 

自信をつける。

 

自分らしく生きる。

 

どれも人間が生きていく上で大切なことではありますが、それよりも大切なことはしつこいようだけれど、「毎日を楽しく過ごすこと」なんです。

 

そして、迷ったときはこう考えてください。

 

どっちの未来が楽しそうだろう?

 

と。

 

「楽そうな方」じゃありません。

 

「未来が楽しそうな方」です。

 

勘違いを防ぐために補足させていただきますと、大きな決断が迫られる選択ほど、ノリで決めづらくなることは事実です。

 

なのでそのときは、目先の未来じゃなくて、ある程度遠い未来を予測することが求められます。

 

とはいえ、僕たち人間は、大人になればなるほど大きな選択肢に遭遇したとき、直感に頼らず頭で考えすぎる傾向が強い。

 

こっちを選んだ方が将来的にああだこうだ、こっちだと安定してるからああだこうだという具合に。

 

でも、人生を謳歌するのって、もっともっとシンプルなんですよね。

 

「楽しさ」が基準になればなるほど、どんどん人生はシンプルになっていくことをお忘れなく。

 

 

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