【人間のレベル論番外編】イキり倒してる人のフィールド傾向について。
withonlineで111回目のコラムがアップされました。
今回は、「イキり倒してる人」をテーマに執筆しました。
関西生まれの方なら、この「イキる」という言葉に馴染みがあるでしょうが、端的に説明すると「意気がる」を略した方言になります。
主に、調子に乗っていてえらぶっている人に向けて使われる言葉なんですね。
使い方としては、
アイツ、
イキり倒しとるなあ。
あの子最近
イキりすぎちゃう?
という感じで使います。
この「イキっている人」については、特徴とそうなった背景を下記動画で詳しく解説していますので、ご興味がおありの方はご覧いただけると幸いです。
【何様の】傲慢すぎる男の7つの特徴【つもり?】
【なぜ人は謙虚になれず傲慢になるのか問題!その6つの理由】
ちなみに、イキり倒してるってどういう状態かと言うと、それはもう調子に乗りまくっていて、傲慢の極みであり、人を見下しまくっている状態になります。
著書「幸福のための人間のレベル論」を読まれた方に、次のように聞かれることが結構あるんですよ。
「ねこ」の人でも人を見下したり
傷つけたりすることってあるんですか?
実は、イキり倒してる人間って、「ねこフィールド」か「けだものフィールド」のどちらかにいるんですよ。
今回は、人間のレベル論番外編として、「イキっている人間のフィールド傾向」について解説いたします。
目次
人間のレベル論をおさらい。
まず、人間のレベル論を知らない方のために簡単に解説させていただきますと、人間の幸福レベルを階層分けしたものになります。
9つの階層に分かれていて、上のフィールドになるほど幸福度が高い生き方ができるようになるのが、人間のレベル論です。
なので、上のフィールドに行くほど人間のレベルが上がると思っている人が多いのですが、上がるのはあくまでも幸福度なんですよ。
ここ、勘違いしている人が結構多いです。
だって、人としてのレベルが上がっていくんだったら、後述するねこフィールドに、イキり倒してる人間はいないですからね。
そして、この人間のレベル論は9つのフィールドを2つのステージに分けておりまして、「気づいてるステージ」と「気づいていないステージ」で構成しています。
人が生きづらさから解放されて自由になり、ようやく人生を謳歌できるようになるのが、気づいてるステージに上がってから。
この気づいてるステージに上がった人が一度は必ず通るのが、「ねこフィールド」なんですね。
ちなみになぜ、人が生きづらさを感じてしまうのかと言うと、「世間体や人の評価に縛られているから」。
アルフレッド・アドラーが言ったように、人間の悩みは人間関係の中でしか生まれませんし、世間体や人の評価を気にしすぎてしまう人ほど、幸福度は低くなってしまうんですよ。
病気になった人が抱える悩みも、実は人間関係が発端になっています。
なぜなら、この世に自分一人しかいなければ、比較対象が他にいないわけですから、病気になっても身体の調子が悪くなっても、
なんかしんどいけど、
こういうもんなのかな?
で終わりです。
でも、他に生きている人たちが沢山いるので、健康な人を羨ましく思ったり、大切な人を自分のせいで悲しませたくないという気持ちが出てきたりするわけです。
人間のレベル論をもっと詳しくお知りになりたい方は、下記リンクをご覧いただけると幸いです。
【幸福のための人間のレベル論をブログで読む】
【幸福のための人間のレベル論を動画で見る】
なぜイキり倒してる人間が幸せなのか?
ねこフィールドに上がりたての人は、自我が解放されことにより、自分らしさを取り戻した状態になります。
たとえ組織に属していても、一緒にいるパートナーがいたとしても、「心の自由」を手にしているので、この状態がものすごく心地いいんですよ。
その自分があまりにも気持ちよすぎて調子に乗りすぎてしまうと、足元をすくわれてしまったり、再び人の称賛を追い求めてしまい、世間体や人の評価を気にするようになったりするのも、ねこフィールドにいる人間にはよくある出来事です。
前述したように、イキり倒してる人間は「ねこ」か「けだもの」にいるのですが、どちらのフィールドににいても、調子に乗りまくっていて傲慢すぎるし、人を見下しまくっている部分は共通しています。
しかもイキり倒してる人間って、例外なくといっていいほど周りから嫌われているのですが、それでも仲間はいるし、異性にモテることも多いんですよ。
なので、嫌っている人たちからすると、
なんであんなヤツが
幸せそうにしているのか
納得がいかない!不公平だ!
と思うことが珍しくありません。
でもイキり倒してる本人は、自分のことを万能神かなんかだと勘違いしてますから、この状態でいるうちは幸せなんですよね。
ただ、仲間がいても異性にモテても、こういう人間にはいざというときの味方が誰もいないことがよくあります。
仲間を装って妬んだり嫌ったりしている人間も中にはいるし、異性にモテても信用はされてないので、言うならば「ハリボテの人間関係」の中にいるようなものなんです。
なので、イキり倒してる人間が何か大きな失敗をしたり、恨んでいる人間から足元をすくわれたりすると、今まで側にいた人たちが一斉に手のひらを返すということがよくあります。
仲間だと思っていた人間が、
と影で笑っていたり、恋人だと思っていた異性が、
なんかこの人、落ちぶれちゃったな。
なんでこんなヤツと一緒にいたんだろう。
と思って急に離れたり。
以上の理由から、イキり倒してる人間が幸せでいられるのは、その状態を維持できている期間限定になるんですね。
しかも、その期間中は失敗は許されないし、足元をすくわれないよう、常に注意せねばなりません。
しかし、イキり倒してる状態ってフワフワして地に足がついてないので、注意力散漫になっていますから、その状態を維持し続けることはある意味不可能だと言えるでしょう。
「ねこ」と「けだもの」にいるイキり倒してる人間の違いについて。
けだものフィールドにいる人間は、いわゆる「サイコパス」と呼ばれる人種が多いです。
ただ、サイコパスって専門家でも見分けがつかないぐらい判断が難しいようなので、良心や罪悪感が著しく欠如した人間が、このフィールドにいると思ってください。
けだものフィールドにいる人間が、社会的成功を収めていたり、名声を手に入れたりしていることは珍しくありませんが、仕事ができることや知名度の高さって、人間性と比例しないんですよね。
大企業のCEOや政治家にサイコパスが普通にいることを考えると、分かりやすいのではないでしょうか。
では、「ねこ」と「けだもの」にいるイキり倒してる人間の違いは何なのかと言うと、そこに「悪意」があるかないかの違いです。
故意に人を騙そうとしたり、私利私欲のために容赦なく裏切ったりという悪意ですね。
本人がその行いを「悪いことをしている」と自覚している時点で、それは悪意になります。
自覚している状態でいくら正当化しても、悪意があることに変わりありません。
なので、けだものフィールドにいるイキり倒してる人は、悪意を自覚した上での悪行を常日頃から行っている人間と言えます。
けだものにいる人間は、自分にとって利用価値があるかないかで人を判断するので、
という基準で相手のことを見ていることが多いです。
そして利用価値がなくなったら、その相手がどうなろうと知ったこっちゃありません。
それがたとえ自分のせいで地獄を見ることになるのだとしても、良心と罪悪感が欠如しているから、どうでもいいのです。
しかも、けだものフィールドにいる人間は、このような結果になることまで見越している場合が多いですね。
逆に、ねこフィールドにいるイキり倒してる人は、自分の欲が根っこになっているので、ある意味衝動的なんですよ。
「~~したい」という欲に忠実なので、後先考えずに動くことがよくあります。
その衝動を抑えられず行動した結果、そのせいで傷ついたり迷惑を被ったりする人が現れるのですが、後先を考えてないので、自分の行いが招く結果を想定してないんですね。
なので、同じイキり倒してる人間であっても、けだものフィールドにいる場合は「悪意」に付け加えて「狡猾さ」があるのに対し、ねこフィールドにいる人は、それらがないと言えるでしょう。
共通して言えるのは、イキり倒してるから地に足がついてなくて、「先見性がなくなっている」ことです。
先見性がない人って、例外なく「最悪のケース」を想定していませんから、自分に降りかかる不利益のことまで考えてないんですね。
つまり、けだものフィールドにいる人間は、相手の不利益を想定することはできても、自分の不利益までは想定していない。
ねこフィールドにいる人間は、自分と相手の両方の不利益を想定することができないということです。
【不安が止まらないという方へ。だったら「最悪のケース」を想定すればいいんだよ論】
ちなみに、人を見下すのは悪いことなのに、自覚していないのか?
じゃあ、人を見下すって
誰でも分かる悪いことでしょ?
それは自覚してるってことにならないの?
基本的にイキり倒してる人間というのは、周りは馬鹿ばかりだと思ってますし、自分が一番賢いと思ってますから、見下している自覚がないんですよ。
むしろ、見下している状態が「素」なので、悪いことをしている自覚がないのは当たり前なんですね。
つまり、この状態が平常運転ということです。
ハリネズミフィールドにもイキり倒してる人間はいるのか?
この間、ニコ生でイキり倒してる人間について解説したのですが、視聴者さんから
ハリネズミにも
イキり倒してる人はいますか?
とコメントをいただきました。
基本的にイキり倒してる状態というのは、自己肯定感も自己評価も無駄に高い状態なので、ハリネズミフィールドにいる人間のイキりは「自己防衛」によるものと考えていただいた方がいいです。
自己肯定感は低いけれど、自己評価だけが高くなった状態になりますね。
【無駄に自己評価が高い人の人生が上手くいかない理由を教えてやんよ】
自己肯定感が低くて自己評価が高い人は、「鎧」で装備を固めてきます。
この鎧は、学歴、社会的地位、収入、名誉などが該当しますが、ルックスの良さを全面に出してくる人も中にはいますね。
ルックスって人を覆う容れ物でしかないので、中身で勝負ができない人は、着飾ったり元々の顔立ちの良さで取り繕ったりすることがよくあります。
ハリネズミフィールドにいるイキり倒してる人は、話していると
この人、
本当は自信がないんだろうな。
と思われることがよくありますし、
この人は
一体何と戦ってるんだろう?
と思ってしまうほど、見栄を張るのに必死になっていることも多いです。
なので、イキり倒してるように見えて、自分の体裁を全力で守っているだけだったりするんですよね。
こういう人間も人を見下していることがデフォルトなんですが、ねこやけだものにいる人とは違うくて、「見下さないとやってられない状態」なんです。
つまり、自分より下の人間を作ることによって、自尊心を守り、自己を正当化するために見下すのです。
そういった理由から、ねこやけだものにいるイキり倒してる人は「攻め」なのに対し、ハリネズミにいるイキり倒してるように見える人は「守り」であると言えるでしょう。
以上になります。
withonlineのコラムでも書きましたが、イキるのって悪いことじゃないんですよ。
けだものフィールドにいる人のイキり倒しは始末に負えないですが、ねこの人の場合だと、個人的には人が成長する上で「傲慢な自分」は経験しておいた方がいいと思っています。
だからといって、誰かを傷つけたり迷惑をかけたりしてもいいと言っているわけではありません。
しかし、「人の成長」という観点だけで見ると、色んな自分はできるだけ経験しておいた方がいいのは間違いないです。
それがたとえ闇の自分であったとしても、その自分を経験しているからこそ、「もう二度とあんな自分には戻りたくない」と思えるわけです。
そこから、真逆の人生を歩むきっかけを手に入れることができるのであって、比較対象がないと、どう成長していいのか分からない部分も出てくるんですよね。
謙虚な人って、元々親の育て方が良かったからそういう大人になったんだと思われることが多いですが、そんな神木隆之介くんみたいな人は少ないです。
実は、傲慢すぎる自分を経験し、そこで痛い目を見たり、頭を打ったりしたからこそ、謙虚に生きることを決めた人の方が多いんですよね。
人は、光も闇も色んな自分を経験し、対人関係を通じて適切な自分の出し方を調節しながら、成長していくものでもあると覚えておいてください。
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